――人間は白銀の目の前で、腹を掻っ切って自殺した。
切腹は楽な死に方ではない。腹を切った程度ではなかなか死ねず、多量出血してもがき苦しみながら死する。その姿を見ていられなかった白銀は、自らの手で人間の首を切り落としたそうだ。
二人の間に何が起きたのか、誰も知らない。
ただ白銀は最後の十二色の宴にぼろぼろの体で姿を現し、こう告げた。
『人の身は弱い。我らの永き生に付いて来られなかった』
その人間は白銀と共に在るために、多くの秘薬や人外の手を借りて延命処置を施していたらしい。それは確実に人間の身体を歪に変え、精神を病ませた。
結局は寿命の違いが、二人に最悪の結末を迎えさせたのだ。
白銀は千年経った今も、墓守の使命さえ捨てて屋敷に閉じこもっている。今では同じ墓守たちにも彼女の様子をうかがい知る手段はない。
白銀の幸せとその崩壊を知るからこそ、墓守たちは紅姫の選択を受け入れがたい。
(あのようにならぬ、とは言えぬ)
十澄を失った時、どうなるかは紅姫自身にも分からない。
それでも紅姫は自分たちの寄り添える可能性を信じている。
「もし、あの者に最期が訪れたなら……わらわが送り出そう。あの者は我が睡蓮邸の片隅で眠ることになろうな。しかし、わらわはあの者の可能性を信じておるし、共に在れる時まで在ろうと思うのじゃ」
逆に白銀の例があったからこそ、いずれ来る別れの時も考えなければならなかった。その答えはおそらく、十年前に十澄を実家から連れ去った時に出している。
まったく動じない紅姫の姿に、誰かが呆れたような吐息を零した。
「仕方ないわねえ」
「漆!? 認めるのかよ!」
それまで事態の推移を見守っていた漆が、小さな嘆息と共に言う。
藤はそれに食ってかかるが、漆の方が一枚上手であった。
「だって、仕方ないでしょう? もう紅は選択してしまったのだもの。わたしたちにどうこう言えることではないの。すべては紅が決めることなのよ」
「っ……だからって」
「藤、それ以上はおよしなさい。ここは争う場ではなくってよ」
「そうだよー、ここまで言われちゃったら仕方ないよ、藤姉さん」
朽葉と瑠璃にまで揃って諌められ、藤は納得の入っていなさそうな顔で押し黙る。
一部異論はあっても十澄の存在が認められたことに、紅姫は内心でそっと安堵した。白銀の件もあって、話が難航することは事前に目に見えていたから、なおさらである。
さて、と漆が声を上げて話題を切り替えた。
「堅苦しい会話はここまでになさい。宴会を楽しみましょう」
「そうじゃのぅ、わらわからも土産がある」
ぱんっと紅姫は柏手を打つ。それに呼応して墓守たちの前に、それぞれが司る色合いの和菓子が出現する。花や果物を模した菓子は精巧で、食べ物というより芸術品の色が強い。
それに歓声を上げたのは、瑠璃と朽葉だった。
「まぁ!」
「やった、和菓子だぁ!」
墓守の中でも瑠璃と朽葉は甘味に際立って弱い。彼女たちの下を訪れる人外の者は、最後の手土産とばかりに菓子を持参するのが、礼儀と決められているほどだ。手土産がなくとも墓に送られるが、例外なく不機嫌になるともっぱら噂である。
だから紅姫も、毎回彼女たちの分だけ和菓子を多く使用人に用意させている。紅姫が和菓子を好むので、睡蓮邸には和菓子専門の使用人が長いこと仕えている。今回の和菓子も、自慢の使用人が手製した品だった。
「……すまない。食べてくれ」
「まぁ、ありがとうございます」
「あ、ずるい! あたしにもちょうだい!」
これも恒例ながら、一口食べたとこで琥珀は和菓子を朽葉に譲った。隣から顔を出した瑠璃も朽葉から半分、嬉々として和菓子を分けてもらっている。
それも半ば以上予想していたことなので、ぱんっとまた紅姫は柏手を打つ。口直しとばかりに、琥珀の前に緑茶を煎れた湯呑が現れた。
琥珀から目で無言の礼を受け取って、紅姫も蓮の形をした和菓子に手を付ける。
どういう仕組みになっているのか、宴の間は各屋敷で用意していたものなら、墓守の一存ですぐに取り寄せられる。紅姫が和菓子を、漆が茶を用意したように、何かしら十二色の宴に持ち寄るのが伝統だった。
紅姫は一気に騒々しくなった宴の間を見渡して、そっと唇を緩める。ぽつぽつと空席は見られるものの、記憶の通り再現された宴は前回から百五十年も経っていることを、つい忘れさせる。その空気が、降り積もった心の負担を軽くしてくれる。
もともとあまり話上手ではないから、十二色の宴では聞き手に回る方が多い。だが今回ばかりは事情が異なるようだった。
「――それで、聞かせてくれるのよね?」
「漆?」
怪訝な視線を送った紅姫に、漆はにこりとそれは麗しく微笑する。
「もちろん、その人間との馴れ初めとか、いつも何をしているのかとか……話すことはたくさんあってよ?」
「……」
あちこちから、注目を向けられていることは確かめなくても分かった。
紅姫はいつもと雰囲気の違う宴に、呆れや諦念の籠った嘆息を零すしかなかった。
それから根掘り葉掘り、紅姫が疲れきるまで事情を探られたのは言うまでもないだろう。
