「あの、もうすぐなので……」
 「え、そうなの」

 ありがとうございました。そういうよりも先に、彼が声をあげて、それを阻止する。

 「家、知られたくないでしょ。傘は返さなくていいから」
 「え」
 「じゃあ」

 またも、彼は颯爽と走り去っていく。駅を出たときよりは幾分かましにはなっていたけれど、それでも小雨というには強すぎる雨の中、彼の背中が消えていく。

 また、やってしまった。お礼も言えていない。

 隣に彼がいたことの証のように、濡れた右肩が冷たい。

 名前も知らない彼。私の手元に二つ目の傘を置いていった彼。

 罪悪感と共に、何かよくわからない想いが心のうちに広がっていく気がした。