浪士組が考案者である清河の手から離れ京都に残ったとき、局長を三人立てた。
芹沢さんと新見さん、それから勿論近藤さん。
新見さんは直に局長から副長に降格されたわけだが、この頃から二派の溝はその大きさを増していったように思う。
まぁ元々あちこちから寄せ集められた男の集団だ。
初めから仲良しこよしというわけではなかったけれど。
それでも頂点に立つ人間を複数にするのは好ましくない。
互いに足を引っ張るであろうことは目に見えていた。
誰の目にも明らかだっただろう。
近藤さんが引きずり降ろされないよう、土方さんと山南さんはかなり神経を使っていたはずだ。


