後夜祭はグラウンドで行われるため、朝と同様、形式的な帰りのホームルームが終了すると、全生徒が校舎から玄関、そして校庭を経由してグラウンドへ向かった。

 だらだらと歩く高校生の群れというのは暑苦しいものだ。私は群れからはぐれた迷子のように、ひとりでとぼとぼとグラウンドをめざす。

 グラウンドでは学園祭実行委員がクラスごとに整列させていた。ほぼ全員が揃ったところで校長先生の挨拶が始まり、私の斜め前で沖野くんがあくびをするのが目に入る。校長先生は心得たもので、挨拶を短く終わらせ、壇を下りた。

「それではみなさんお待ちかね、後夜祭のメインイベント、フォークダンスの時間です! まずは全員で大きな円を作りましょう」

 司会を務める学園祭実行委員が腕を大きく回すと、各クラスの実行委員が先導し、全校生徒でいびつながらもひとつの大きな円となった。

 そこに軽快なリズムの音楽が流れてきた。マイムマイムだ。足がもつれそうになるが、適当にごまかしながら左へ移動し、それから前進。「マイムマイムマイムマイム!」と一部の男子が盛り上がるのを苦笑しながら眺める。

 グラウンドを半周したあたりで音楽が途切れた。最初は気乗りしなかったのに、終わるころには楽しくなってきて、早くも次がなんの曲か気になってしまう。

「では次の曲の前に、男子は円の内側へ入って、もうひとつ円を作ってください」

 これで次が男女で踊る曲であることが確定する。あちこちで文句や歓迎の声が上がり、それがおさまる前にフライングで曲が響きわたった。

「これ、なんていう曲だった?」

「オクラホマミキサー?」

「違う。あれはちゃらちゃらっらららら、たったった、ってヤツでしょ」

「じゃあコロブチカ」

「ああ、そんな名前だ」

 少し離れたところから聞こえてくる話し声で、そうだったのかと思う。踊りを覚えたのは小学生だったか、中学生だったか、記憶が定かではない。みんな同じジャージで踊っていた記憶があるから中学生なのだろう。

 でも、おぼろげな記憶の断片に、微妙な違和感を覚えた。とすれば、最初に習ったのは小学生だったかもしれない。

 急にぐいと手を引かれて、私は目の前にいる人の顔を見た。沖野くんだった。手のひらがかさかさしていて驚いた。清水くんは柔らかい手でこんな違和感を持ったことはない。

 不思議な気持ちのまま、次の人の手を握る。パートナーがあっという間にチェンジしていくから、指の長い人、骨ばっている人、少し汗ばんでいる人、それぞれの感触になれないうちに移動しなくてはならない。

 そのうち清水くんが見えるところまで来た。あと2人というタイミングで曲が止まる。男子のほうばかり見ているのも不自然なので、私は女子の列を見た。

「もうちょっとだったのに!」

「でも次、オクラホマミキサーでしょ。絶対まわってくるよ」

 西さんと藤谷さんの会話だ。たぶん私に聞かせるための会話なのだろう。嫌な気分になったが、陽気なメロディに乗せて聞き流すことにする。

 隣の男子が後ろから手を回してくるので、私もその手を取った。清水くんがリズムを無視して適当に踊っているのが見える。

 曲が短調に変わったところで清水くんが私の手を握った。いつもと違って、今にもはずれてしまいそうなくらい緩い繋ぎ方で、私はちょっと焦る。

 思わず隣の人の顔を見上げる。

「なに?」

「いえ、別に」

 ――いや、「なに?」って、仮にも彼女に対する言葉としてひどくないか?

 だけど清水くんは、私が内心憤慨していることすら気がつかない。

 次の言葉を考えているうちにパートナーチェンジとなり、私はもやもやした気持ちのまま踊り続けた。

 西さんはあんなに不機嫌な王子と踊っても、やっぱりときめいたりするのだろうか。私なら、踊っている間くらいちゃんと私を見てほしいけど。

 ――って私はなにを考えているんだ、なにを!

「高橋さんって案外、アレだね」

 頭上からそんな言葉が降ってきた。私は慌てて新たなパートナーを仰ぎ見る。堀内くんだった。

「アレとは?」

「うん。……巨乳?」

 とっさに堀内くんの足を踏んだ。

「痛っ……!」

「ごめんなさい」

 少し早いタイミングで堀内くんの手を振りほどき、離れてから思い切り睨みつける。しかし堀内くんはニヤッと意味ありげな笑みを浮かべて、まったくこりていない様子だ。

 オクラホマミキサーが終わり、司会が「最後はジェンカです」と言うと、グラウンドの大きな円はスクランブルエッグのようになった。

 私はじゃんけんをするクラスメイトをぼんやりと眺めた。

 この曲が終わると、学園祭も終わる。

 自発的ではないにしろ、こんなに学園祭と関わったのは初めてで、だからなのか、終わってしまうことが寂しく感じられた。

 ――なんだかんだとあったけど、楽しかった……かな。

 自分の気持ちを素直に認めたら、心が急にポッと温かくなる。放課後にベニヤ板をひたすら黒く塗りつぶす作業も地味だけど面白かったし、あれからクラスメイトの視線が少し変わったような気もするし。

「高橋さん、じゃんけんしよう!」

 私の前に高梨さんが立っていた。そして彼女の両肩をつかむ堀内くんにクラスの男子が数人続く。

 高梨さんの「最初はグー」という元気な声に合わせて、おずおずと右手を出す。

「おわーっ! 負けたー!」

 そう言いながら高梨さんが私の背後にまわり、肩をつかんだ。

「よーし、発進!」

 テンションの高い高梨さんにのせられて、私は歩き出した。後ろから「あっち」と堀内くんの声が聞こえ、私の肩を高梨さんの手が操縦する。

 視線の先には、グラウンドの端で浮かない顔をしている清水くん――。

 一瞬ひるんだ私の肩を、クラスメイトたちが押す。仕方なく彼の前へ進んだ。

「じゃんけん、しよう」

「俺はいいよ」

 そう言った清水くんは、今にも泣き出しそうな表情にも見えた。私は焦る。でも引き下がるわけにもいかない。後ろから「清水、お前も男だろ!」「逃げるのか?」とクラスメイトたちがはやし立てた。

「うるせぇ!」

「ほら、いくぞ! 最初はグー。じゃんけん……」

 ぽん、の掛け声で、私は握り締めた拳を突き出した。

 目の前には大きく広げられた手。

「よし、清水、いけーっ!」

 困惑気味に眉をひそめる清水くんだったが、音楽に急かされて私は少々強引に彼の肩に手を伸ばした。ちょっとぶらさがるような体勢になってしまったけど、そんなことを気にしている場合じゃない。後ろから押されて否応なしに清水くんは1歩、2歩と歩き出す。

 かなり長い列の先頭がこちらに突進してきた。清水くんは無言でじゃんけんに応じる。今度はチョキ。また勝った。

 後ろを振り向いてみると、50人くらい連なっている。前を見ると清水くんは次の相手とじゃんけんしていた。これにも勝って私たちの列車はあっという間に100人を超える。

 グラウンドを蛇行しながら歩き、次の相手に巡りあった。

 清水くんは興奮気味の相手に気圧されることもなく、淡々と勝負に挑む。またもや勝った。そろそろ私もこれは尋常じゃないな、と思い始めていた。

「清水、じゃんけん強いな。連戦連勝じゃん!」

 堀内くんが私の後方から声を上げた。清水くんは首を少しだけ動かして「当然だろ」と短く言い捨てる。

 清水くんを先頭にした私たちの列はうねりながら進み、じゃんけんをしては相手を従え、ついに最後の敵と相まみえることになった。

「え? 清水先輩?」

 私たちと同じくらい長い列の先頭には、清水くんを慕う1年生の桜庭さんがいた。

 清水くんはなにも言わずに右手を出す。誰かが「最初は」と大声を張り上げると、両列から一斉に「グー!」と声が上がる。

「じゃんけん、ぽん!」

 背後から「おおおっ!」と爆発的な歓声がわき、清水くんが誇らしげに右の拳を天に向かって突き上げた。

 桜庭さんは悔しそうに「あーあ」と言い残して、こちらの列の最後尾へ向かう。

 グラウンドにはまだジェンカのメロディが流れている。清水くんは全校生徒を従えて、軽やかにステップを踏む。その肩につかまりながら私は、どうしようもなくこみ上げてくる笑みを、どうやってごまかそうかとしばらくの間悩み続けた。