長崎光綱の手引きで行藤の一行が鎌倉入り出来たのは、弘安八年十月も末になってからである。

(安達どのに、一度訊ねておかねばなるまい)

思ったが、中々機がない。

そこで。

日頃は策を使わない行藤だが「ふとした病である」として、なるだけ出仕を休むようにしたのである。

──判官どのが病とな。

という噂はたちまち鎌倉で広まって、もともと中立のポジションにあった行藤の仮病が、まず二階堂一門の動きに影響としてあらわれるようになった。

もともと安達派に近かった二階堂信濃守一門の一部が、敢然と泰盛側へついたのである。

反対に、同じ二階堂一門の忍性尼の一族は、頼綱側へついた。

こうしてそれぞれどちらにつくか旗幟を鮮明にしつつあるなか、

「二階堂判官どのに、お目通りを願いたい」

と安達泰盛が永福寺下の二階堂屋敷を訪ねたのは、月が改まってからであった。

(来たか)

行藤は敢えて寝所へ泰盛を招くよう家来に命じた。

そもそも泰盛は仮病を疑っていたが、寝所へ通されたことで、

(まことに病であったか)

と信じ込んでいる。

「判官どの、お体は大事ございませぬか」

「伊勢詣りの長旅の疲れが出たのか、やたらと頭が痛むので」

休んでおりました、と行藤はいった。

「ところで近頃は鎌倉も、ものものしゅうございますな」

噂では安達どのと頼綱どのが戦をなさる、と町の者どもの噂を行藤は振った。

「聞けば安達どのは盛宗どのに将軍を嗣がせるという、馬鹿げた噂もありましてな」

町の者どもは悪し様に申したいことを申しまするな、と一笑に付した。

「そういう頼綱も、高利貸と組んで私腹を肥やし金で幕府を乗っ取るという話がありましたな」

ただ義はわれらにありまする、と泰盛は続け、

「そもそも高利貸は高麗の商人にございまする」

「それはよく存じておりまする」

「かの者たちは金の力で御家人どもを屈伏させ、その武士の力を操り、この国を高麗の属国にするつもりでありまするぞ」

行藤は目を丸くして、

「そは…まことにございまするか」

無言で泰盛はうなずいた。

「現に借金が払えぬ武士のなかには、高麗の商人に警固として安い扶持で雇われた者もおる」

そなたを引付衆にとどめておけば、こうはならなんだかもわからぬ…と泰盛は、少し後悔をしている表情に見えた。

「なれどそれがしは、執権に大仏どのを推した身にございますれば」

あれはあれでご処分は正しかったのでは、と皮肉混じりに問うた。

「いや」

無理に貞時さまを執権に就かしめたばかりに、鎌倉を二つに割る事態となった──といい、

「やはり眼代に大仏どのを置くのは、そなた慧眼であったのかもわからぬな」

まず判官どのは病を治されよ、というと、慌ただしく泰盛は政務へ戻ってゆくのであった。

あとから藤子が入ってきた。

「いかがなされたのでございまするか」

気難しい顔をしている。

「安達どのはわざと」

泥を自らかぶるつもりではあるまいか、といい文机を引き寄せさせた。

「頼綱どのに文を書いておかねばならぬ」

「書くのは構いませぬが」

文ごときでおさまる戦なら世話はない、と藤子はいった。

「そうかも知れぬが」

書くに超したことはなかろう、と行藤は墨を磨りはじめた。