弘安七年四月四日。

播磨で大規模な悪党が荘園を荒らし回っている、との報を受け、この日は珍しく大評定が開かれることの総触れが出された。

評定衆ではない行藤は関係がないはずであったが、

「どうにも腹が痛くて動けぬ」

という評定衆である父の行有に代わって、仕方なく政所へと出仕することとなった。

この日の装束は朱の小袖に白柳色の浮綾という変わった直垂で、

「相変わらず派手な直垂よのう」

極楽寺業時に苦笑いをされたが、行藤は特別に意に介しない。

全体がほんのり桜色に見える装束である。

(どちらかといえば)

片身違いでないだけ地味な気が、行藤はしていたらしい。

ともあれ。

全員が着座した。

「お成り遊ばします」

全員がひれ伏した。

するする、と時宗が上段に座るや、

「播磨の悪党のこと、まことに幕府に仇なす所業につき、征伐を致すべしと存ずる」

開口一番、それである。

行藤もそれに異論はないが、少し押し付けがましいのだけが少し鼻についた。

播磨討伐に誰を差し向けるかという議題に移ると、

「播磨はそもそも六波羅の所領なれば」

時村どのがふさわしきかと、と安達泰盛が具申するとこれもまた、異見なく決まった。

(まるで合議の真似事ではないか)

こんなところで何をしておるのだろう、と行藤はなんともやりきれない気持ちになってきた。

議題は播磨討伐の後詰めの詳細まで決まり、遂に評定は散会となって時宗が立ち上がった。

が。

ぐらついた。

倒れた。

「…執権どの!」

意識がない。

昏倒、という事態に、

「かたがた、一大事にございまするぞーっ!」

評定の場は一気に静寂が吹き飛び、怒号が飛び交う騒然とした場へ変わった。

こうなると播磨討伐どころではない。

戸板が来る、担がれて奥へ時宗が下がる、早馬が六波羅に差し立てられる、近習の動きが慌ただしくなる…という灰神楽の立ちっぷりで、

(どうなるのであろうか)

ひとまず行藤も行有に知らせに向かうべく退出せざるを得なかった。



父へ使いをやったあと行藤はなぜか、永福寺下に戻って家来に剃刀を当ててもらい顔を剃り、行水を使うという行動に出た。

どちらも当時は占いで日を選んで行うのである。

無論その日ではない。

「…いったい、いかがなされたのでございまするか?」

藤子もそれしか訊ねようがない。

「少し長丁場になるやも知れぬ」

新しき帷子を、と行藤は着替えを持ってくるよう命じた。

「直垂はいつもの片身違いでよい」

帷子を替え、片身違いに着替えると、行有の屋敷へ向かった。

行有は病床で蒼い顔がさらに青ざめている。

「どうしたものかの…」

「診立ては、危のうおわすとの由」

行藤は道中聞き知った時宗の容態にふれた。

「まことそなたの申す通り脚気であろうか」

「それがしは、そう見ておりまする」

行藤は断言を避けた。

「ともあれ」

「お目が開かれれば、容態も回復されようて」

われらにはどうにもできぬ、と行有は嘆息したのであった。



行藤が再び政所に戻ると、

「判官どの」

堀ノ内の奥方さまがお呼びにございまする、というので、奥向きへ通された。

「堀ノ内の奥方」

とは、時宗の正室の堀ノ内殿のことを指す。

安達泰盛の養女で嫡男貞時の生母にあたり、滅多に表舞台には出てこない。

が、芯は強い。

執権御所の奥へ通されると、対面所に堀ノ内殿がたたずんでいる。

「お方さま、判官にございまする」

「よう参られました」

実は、とひかえる行藤に耳打ちで、

「つい今しがたご逝去あそばされました」

堀ノ内殿はささやいた。

行藤は思わず瞠目して振り仰いだ。

「まことにございまするか」

堀ノ内殿はうなずいた。

「そこで、じゃ」

大仏の宣時どのを目代に据えよ…と仰せられたそうだが、といい、

「貞時に嗣がすわけには参らぬのか」

「貞時さまは齢十四にて、執権にはいささか若うございまする」

時宗どのも嗣がれたのは齢十八にございました、と行藤は年齢を危惧した。

「まだ異国との合戦が落ち着いたわけではございませぬ」

「それゆえ連署どのや安達どの、判官どのが盛り立てれば良いのではございますまいか」

これには行藤もたじろいだが、

「貞時さまを厳しき場に引き出すのは、危のうございまする」

みずからのお子を修羅場に突き落とすおつもりか、と行藤の言い分は情理のあるものではある。

「判官どの。──修羅場に突き落とすことが、身を助けることになることもございましょう」

堀ノ内殿は何か知っているようであったが、

「お方さま」

頼綱の弟の長崎光綱の声がしたので、行藤は肝腎なことを、訊きそびれてしまった。