月があらたまった。

国書の扱いはいまだに決まらず、行藤は謝国明の船が来る春先には京に戻る気でいる。

還暦を過ぎた齢の執権・北条政村の容態は不安定で、出仕を休む日もあれば、寺で暮れの鐘が鳴る刻限まで評定所に詰める元気な日もあった。

「生真面目な政村どのらしい話よ」

と、一番引付頭人になった義弟の名越時章を訪ねた折、この歳上の義弟は苦笑いしながらいった。

行藤より干支が三まわり近く離れている名越時章は、前妻と死別してしばらくは室を迎え入れなかったが、世嗣がないのを案じた甥の足利頼氏の勧めもあって、行藤の妹の熙子を妻に迎えている。

「兄上、次は牡丹の頃にお越しあれ。牡丹の宴を開きまするゆえ」

もともと穏和で、庭に牡丹を咲かせるのを好む静かな性分でもある。

世間では、

「牡丹の名越どの」

と呼んでいる。

「時章どの、その頃に鎌倉に戻れればではございますが、いつかは宴を開きましょうぞ」

まだ二月で、芽は固いままである。

「兄上さま」

熙子の声がした。

傍らには、稚児姿の幼童がいる。

「これなるは子の篤時にございます」

「生まれたのは聞いていたが…大きうなったのう」

篤時を膝に座らせ、

「篤時どの、京にいとこがおるぞ」

「昨年お生まれになられた次郎どのにございますな」

行藤はうなずいた。

「これからは北条も二階堂もない。ともに皆で幕府を支え、守るのが役目じゃ」

内輪で争う暇はないぞ、と篤時をあやしながらいった。

「それを教時が聞けばどう思うやら」

「教時どのは相変わらず、血の気が多いようだな」

弟の名越教時は隙あらば、得宗家に一泡ふかせようと企んでいる節がある。

「やはり時宗どのが、執権には就きそうか」

「あのお方は頼綱どののことで公卿方の受けが悪い。もっとも、幕府が上皇さまを敵にするつもりなら時宗どのが執権になられましょう」

時章は塞ぎ込んだ。

「朝廷を向こうに回すなぞ、それでは承久の戦と変わらぬではないか」

「それゆえ、執権には時尚どのがよかろうと進言しておいた」

北条時尚といえば、政村の弟だが、愚直な人物で時章もすぐに顔が浮かばぬほど印象がない。

「体面を重んずるとはそうしたものであろう。さすがに誰も、時には騙すことも要るまつりごとを、実直だけの時尚どのに任せぬとは思うが」

時章は怪訝な顔をした。

「この行藤が時宗どのを推せば教時どのがどう出るかわからぬ。逆に時章どのを推せば得宗家に近い安達どのや頼綱どのがどう出るかわからぬ」

要は体のよい丸投げよ、と行藤は笑った。

「しかしそれでは、国書はいかがなされまするか」

「それは執権どのがお決めになればよい。ただし」

時宗どのはいささか気短なところがおわすゆえ、戦は頭に入れておかねばなりますまい…と行藤は危惧を指摘した。

「二階堂の兄上は鎌倉には戻らぬ…と?」

「まだ次郎の首が据わらぬゆえ動かれぬ」

行藤は、身も蓋もないいいかたをした。

「ただ、時章どの」

くれぐれも戦は避けねばなりますまいぞ、と行藤は、時章が置かれてる立場を察せられるよう精一杯のいいかたで示した。

三月ともなると、鎌倉の寺ではあちこちに椿が咲いて山を彩りはじめた。

それまで容態が不安定であった執権の北条政村に、心の臓の発作が出た──と、政所が混乱に陥ったのはこのころである。

幸い医術に詳しいとされている一門の大仏時広という古老が薬篭の気付薬で処置したので事なきは得たものの、

──これでは心許ない。

というので、しばらく連署の北条時宗が執務の代行を果たすことになったのである。

行藤は政村を見舞ったあと京へ戻る仕度をはじめたのだが、

「二階堂どのに話がある」

という、すでに隠居を決めていた金沢実時に、六浦の別邸まで呼び出されたのである。

引付頭人や評定衆を歴任し、幕府随一の知恵袋と世にうたわれた金沢実時は、姪を時宗の兄の時輔に嫁がせており、人脈も公家や武家を問わず幅広い。

が。

行藤は面識がない。

(何か気に沿わぬことでも、しでかしたであろうか)

と少し不安にはなった。

朝比奈の切通を抜けると、眼下に六浦の湊があり、その奥まったところに大屋根を聳えさせた、称名寺の金沢家の屋敷がある。

取り次がせると「称名寺でお待ちを」との由で、行藤はひとまず隣にあった本堂で待つことになった。

しばらく待った。

「二階堂どの」

穏やかな低い声がする。

平伏した。

「いやいや、堅苦しい挨拶は無用」

わしが実時じゃ、といい座ったのは、目の鋭い武士であった。

「そなたが二階堂行藤どのか」

連署どのから話は聞いておる──と、実時は静かにいった。

「鎌倉ではそれがしは武士にあるまじき者と噂が立ったと聞いております」

「…それゆえ、いかなる仁か会うてみたかったまでよ」

実時は穏やかな笑みを浮かべ、

「なれどそなたの申し条は一理ある。青砥どのが仕込んだだけのことはおありじゃ」

と、かつて漢学の師としてついて学んだ、青砥藤綱のことに実時はふれた。

「青砥どのは執権が時頼どのであられたころ、奉行として口やかましくも、なかなか骨があってひとかどの人物であられた」

行藤は無言で聞いている。

「その青砥どのが、二階堂行藤を評し粗削りだが頭は鋭い、と申しておられた」

「恐れ入りまする」

そこで、と実時はいう。

「そなたには今一度、京に戻られ、時輔どのの様子を鎌倉へ逐一知らせてもらいたいのじゃ」

一瞬スパイのような仕事に見えるが、どうやら義理の甥が気になるといった風の体であるらしい。

「これは他の一門には頼めぬ。公卿の後楯がある二階堂どのならば、誰も怪しまぬ」

「なれどなぜそれがしを」

「さように訝るのも無理はない。ただ…今の幕府は、御内人に蝕まれ始めておる」

いかに御内人が得宗家の配下で勢力があるとはいえ、久我家や冷泉家の覚えめでたい二階堂家と敵対関係になるのは、本意ではないらしい。

「青砥どのが奉行を辞めて今の頼綱どのになってから幕府は変わってしもうたようじゃ」

頼むぞ、と実時は頭を下げた。

「…承知いたしました」

断る理由もない行藤は叩頭するよりなかった。

金沢屋敷から戻ると、すでに政所に出仕せよという使いが待っている。

その足で御座所に出向くと、それまで連署だった時宗が執権の座にいた。

一同が並ぶと頼綱が居丈高に奉書を掲げ、

「このたび異例ながら時宗どのを執権とし、政村どのを連署と定めることと相成り申した」

と高々と呼ばわった。

唐突な発表に騒がしくなったが、

「この国難の折、若く力のある得宗家の時宗どのに、任せることにいたした」

という政村の言葉はいつになく力んでいる。

「おのおのがたも時宗どのを盛り立ててくだされ」

政村はもともと和歌を好み、それだけに政治は荷が重かったのか安堵を浮かべたように行藤には見えた。

(国書はいかがされるのであろうか)

という、一抹の不安もあるにはあった。

行藤が珍しく実家の父の行有から呼び出されたのは、執権の交代が告げられ間がないタイミングである。

「しばらく見ぬ間に大きうなったの」

と久々に会う父は、わが子が一人前に成長したことを喜んだ。

が。

実は行藤と行有はほとんど親子らしい関係がない。

というのも。

行藤が生母と早くに死に別れたあと、行有は春日部実景の娘を嫁を迎え、間に熙子が出来たといういきさつがある。

行藤はそのため二階堂家の荘園がある甲斐で預けられて育った…という経歴があった。

その婚儀で三浦家に近い春日部家から妻をめとったことで、行有は父の行義と不仲になり、二階堂家はいわばバラバラの状態になっていたのである。

「しかも妻をめとり、世嗣ぎまで出来たそうではないか」

公卿の姫だそうだな、と行有は無邪気なはしゃぎようである。

「そなたは鎌倉へいつ戻るつもりかのう」

「…このたび、言付かったことがございますゆえ、今しばらくは京におらねばならぬものかと」

行藤はこたえた。

「そうか…そちも忙しそうじゃのう」

「申し訳ごさいませぬ」

「謝ることはない。むしろ信濃流に奪われていた職を、われらの手に取り返す好機ではないか」

行有のいう信濃流、というのは同じ二階堂家でも代々信濃守を名乗るいとこ筋をさす。

二階堂家は早くに二家に分かれ、行藤の出羽流と信濃流とがある。

二階堂信濃守家は幕府中核に早くから食い込み、すでに連署や奉行も出しているが、行藤の出羽守家はいわゆるドサ回りの役職が多く、行有も長らく奥州にいたことがあった。

「ところで」

と行有は、蒙古の国書の扱いの話題を出した。

「つい先達て国書は朝廷に送り返すこととなった」

ついては返送の役目を行藤に、と評定の席で義父上が仰せになられたそうじゃ──と、義祖父の安保泰実の驚くべき申し出を聞かされた。

「明日にも出立せよ、とのことじゃ。国書は」

ここにある、と行有は箱を取り出させた。

「義父上も外孫のそなただけは可愛いものと見えて、そちには晴れがましい役を回してくるのう」

内心、

(ちっとも晴れがましくないではないか)

と行藤は苦々しく思った。

敢えて朝廷に丸投げをすることで政治の力を削ぐ、という下劣なやり方であるが、

「…不服か?」

「いえ。承知つかまつりました」

行藤は屋敷を出るときには頭を抱え込んでいた。

翌日国書を携えた行藤は、家来を連れ、早馬のような早さで鎌倉を発った。

ヨレヨレになりながらも何とか六日目に京に辿り着いた行藤は、その足で六波羅へ向かっている。

北方は不在で、やむなく南方の時輔に例の国書の箱を差し出すと、

「朝廷に送り返すこととなったそうにございます」

と、裏返りそうな声で言上した。

「返牒は?」

「鎌倉では返書は出さぬ、との由」

時輔は天を仰ぎ、

「…幕府はどこまで愚か者揃いなのだ!」

と怒鳴った。

「…まあ、行藤どのに怒鳴っても仕方がないのだが」

「やはり時輔どのも返牒を出すべきなのでございますか」

「行藤どのは?」

「それがしは朝廷が返書を出すか出さぬか決めるが、筋かと心得ます」

これはどうするのだ、と時輔は箱を指さした。

「ひとまず久我家へ参ろうかと…」

「それがよい」

ただ服は汚れておるゆえ替えてゆけ、と時輔は家人に装束を持ってくるよう命じた。