寄り道をしたあの日以来、少女は男の家に、度々訪れるようになった。

 少女は、すぐ傍の小学校の6年生で、山村棗と言うのだと、男は少女から聞いた。

 男は、椎名啓一郎。少し前に、都会から出戻って来たばかりの、ここの家主である。

 少女は、庭の花壇をぼんやりと眺めながら、その前に屈んだ。スカートの裾が、地面に擦れる。

 「お嬢さん、何も咲いていない花壇なんぞ見て、何か楽しいのかい?」

 縁側から、男が尋ねた。葉巻の煙を、存分に吐き出しながら。

 すると少女は、動かずに、囁く様に、声を発した。

 「・・・蟻がね、蟻が居るの、この、縁の所に・・・」

 少女は、ちょこちょこと歩く蟻達を、ただじっ、と見詰めていたのだ。巣穴から出て来る蟻は、土をくわえているから、巣作りの真っ最中であるのかも知れない。

 「蟻、好きかい?」

 「・・・それなりに」

 少女は、蟻に夢中になるあまり、男の言葉を、直ぐには理解出来ない様で、答えるまで少し間が空いた。

 「そうかい」

 男は煙を吐き出すと、葉巻を灰皿へ押し付けた。そして、長い髪を掻き上げ、立ち上がる。

 「それなら、駆除は、しないでおいてやろうね。・・・ほら、裾が汚れたよ」

 そう言って、男は少女の腕を掴んだ。少女は大人しく立ち上がる。スカートに付いた泥を払いながら、少女は少し気恥ずかしげに、口を開いた。

 「そうしてくれると、喜ばしい」

 「喜ばしいって・・・日常会話で初めて聞いたね」

 男が笑うと、少女は鋭く男を睨んだ。

 「うるさい」

 そう言ったきり、少女は何も言わなくなった。

 男は、そんな少女の頭を、力任せに撫でてみた。顔を上げた少女は、相変わらず本心の読めない笑顔の男を見て、少しだけ、笑って見せた。

 「春に、種でも持って来るかな」

 「しっかり自分で世話をしておくれよ?」

 「・・・了解」

 渋々頷き、縁側へと歩き出す少女と、泣き出しそうな雨雲とを見比べて、男は帰りに、傘を持たせよう、と、一人思い、頷く。

 「あ、そう言えば、葉巻は、口が臭くなるってさ」

 少女の言葉に、男は思わず、口を押さえた。