「中山じゃん」
「そうそう、中山だ」
恩師の名前をとっさに口にした宏之の記憶力に感心する。
「俺、世界史が苦手でさ」
「横文字が覚えられないってよく嘆いてたよね」
「中山の授業中さ、しゃべってたりすると、チョーク飛んでこなかったか」
「来た来た!」
「スピード半端なかったよな」
「コントロールいいから、絶対当たんないのわかってるんだけど、いつもびくびくしてたもん」
雑談のひとつも挟むことなく、淡々と授業を進めていくような生真面目さだった。
さすがに、同窓会では誰かがひそひそ話をしていても、小物を飛ばすことはしないけど。
教師としての威厳や品格は、まったく損なわれてはいない。
「中山って、定年退職したんだよな」
「らしいね」
「ほかの学校からオファーもあったみたいなんだけどさ」
「オファーって?」
「私学から教鞭とってほしいとか。でも、断ったんだってさ」
「なんで?」
「さあな」
生徒だった者が卒業し大人になるように、教師もいつまでも教師ではなく、いつか教職を終える日を迎えるものだけど。
粛々とスピーチをする中山に、教壇に立って教えてくれていた姿が重なる。
彼の背後には、今も黒板が見えるようだ。
元生徒にとって、教師は教壇を下りても、生涯現役で教師でありつづけるのだ。
「俺、溝口の授業とか好きだった」
「溝口って、化学だっけ」
当たり、と宏之は笑う。
「私は化学式が全然覚えらんなくて、テストのたびに赤点すれすれの嫌な思い出しかないなあ」
「ほんと、おまえは理数系、苦手だったよな」
あの頃は、仮病を使いたいと何度も考えた。
腹痛のふり。
頭痛のふり。
何をすれば学校に行かずに済むか、考えた。
そんなことを考えるのに、思考を懸命に働かせた。
インフルエンザが流行すれば、いっそ、学級閉鎖を切望した。
