「矢野君」
恰幅のいい和服姿の男だった。
「長江先生。お久しぶりです」
矢野が会釈をすると、長江は何度か頷いた。
「この度はおめでとう」
「ありがとうございます」
長江源俊は今の書道を担っている書家の一人である。
そんな大物が自ら後輩に挨拶に行った。と、二人に気づいた記者がカメラを向けた。

「さっき、キミの字を見させてもらったよ。いや、実にいい字を書くね」
いえ、そんな。と、軽く首を振ってみせる。
「謙遜すること無い。水野君や轟先生とも話していたんだけど、次の世代を引っ張っていくのは矢野君だろう。とね」
「いえ。僕はまだお三方の足元にも及びませんよ」
機嫌を良くした長江は矢野の肩を力強くたたいた。
「まぁ、そういうことにしておこう。さぁ乾杯だ」
近くを通ったバーテンダーの皿からシャンパンを取った。

長江は記者陣を見やると、グラスを高く上げた。
「我らが期待の星。矢野翠扇に乾杯!」
シャンパンを飲み込んだ。周りから拍手が起こる。それに答えるように手を振り、矢野に握手を求めたときだった。

「・・・ぐっぅ!」

急に長江が顔を歪めたかと思うと、喉を押さえて座り込んだ。
「長江先生!」
慌てて矢野が支える。
長江は助けを求めるように矢野にしがみ付いた。
「どうされたんですか?先生、しっかりしてください!」
「なっ・・・・・やっ・・・・」
長江は苦しみに耐えようと必死に矢野の袖を掴んだ。
その勢いで矢野も床に膝を着く。
「先生!長江先生!」
それでも長江の意識はだんだんと薄れていき、そのまま矢野に寄りかかるように息を止めた。

刹那。時間が止まったかの様な静寂が訪れた。

しかしそれは一瞬のことで、すぐに叫び声と逃げる足音の混乱に包まれた。