野田が見えなくなっても辰郎はしばらく扉を見つめていた。
沈黙が流れた。

「・・・・あの」
声はシーツの皴を見つめながら次の言葉を発した。

「僕は矢野辰郎の息子で本当にいいのですか?」
「どういう事かな」
「ずっと聞きたかったんです。何故、僕を引き取ったのか。父さんにとって僕は憎い存在なはずでしょう」
なるほど。
辰郎は口の端を上げて呟いた。

「確かに。生まれた子が私の子じゃないと知ったときは憎かったさ。侑子も姫山も学生時代からの友人だったから尚更な。侑子と離婚する気はなかったが、お前が姫山のところに行くのも、そこに侑子が住むのも反対しなかった。・・・ただ、お前とは一生関わりたくないと思っていた」

辰郎は深く溜息をついた。
「けれど、あの事件が起きて、お前は独りになった」
矢野の左手が微かに震えた。

「正直、複雑だった。大切な友人を失ったと思う反面、私を裏切った罰だと思った。そして、お前をどうしようかと思った」
言葉を止めて矢野のほうを見た。
それに気づいた矢野がシーツから視線を上げる。
「焼けた姫山の家を黙って眺めるお前を見て、自分がこの子供を守るんだと思った。都合のいい話だよな。それまで顔を合わせる気すらなかったのにな」
「・・・馬鹿ですね」
「五月蝿い」
「馬鹿ですよ・・・本当に・・知っているんでしょう?僕がやったこと。これからやること」
辰郎は首を振った。
「お前が何をしているのか。私は聞かない。ただ、ひとつだけ言っておきたいことがある。」
「僕に頼み事ですか?初めてですね」
「そうだな。・・・大切な両親と兄弟のように慕っていた友人を失ったお前は分かってくれると思っている」

そう言うと、矢野の肩を強く抱きしめた。
「年寄りより先に死なないでくれ」
途端に矢野の両目に涙が浮かんだ。

それは辰郎の手に力が入るたびに量を増し、遂には声を上げて泣いていた。
「ごめ・・・・。父さっ・・・ごめん」
「馬鹿か。何、謝ってるんだよ」
辰郎が矢野の罪全てを分かっている事ぐらい、矢野自身も分かっていた。
それでも自分を許してくれる辰郎に、矢野は言葉に出来ないほど泣いた。

辰郎は息子が落ち着くまで抱きしめ続けた。