考えてみれば、最初の頃は金銭的な感覚もなかった。

食料品から生活用品まで、美羽とスーパーへ買出しに行くようになって値段を知った。

それなのに、テレビの芸術番組で紹介される絵画や美術品の価値は解ったりするのだから、いったい自分はどんな環境で育ったのかと首を捻ってしまう。

翔の冗談が仮に本当で、自分が良い家柄のお嬢様だとしたら…と考えて、すぐに否定する。

もしもそうなら、行方不明になってすぐに捜索されているだろうし、半年も身元が判らないのは、やはりおかしい。

どれだけ考えても、出口の無い迷路を歩いているようで、さくらは大きなため息と共に、考えることを中断した。

それより…と、手の中で丸めていた冊子を伸ばし、開いてみる。

この公園に来る前、コンビニの店頭で手に取ったフリーの求人誌だった。

「とりあえず、仕事を探さなくてはいけませんわね。
自立もそうですけど、まずは掃除機を弁償しなければ…」

昨日は2台目の掃除機を壊してしまった。

失敗ばかりで申し訳ない限りなのに、美羽も翔も怒るどころか笑って許してくれる。

迷惑を掛けてばかりの自分を温かい目で見守ってくれる二人には感謝の言葉しかない。

あの家は明るく、笑顔が絶える事がなくて、最初は表情の硬かったさくらも、いつの間にか笑顔でいることが多くなった。

高端医師は、記憶が戻らない原因は精神的なものが大きく影響している可能性があると言っていた。

もしかしたら、彼らとの生活を失いたくないと思うが故に、無意識のうちに記憶が戻ることを恐れているのかもしれない。