翔の住む築30年の木造アパートは、外観はかなり古びているが駅や病院にも近く値段も手ごろな2LDKの好物件だ。
父が病に倒れた際に少しでも病院の近くに住みたいと願った母の為に、高端院長が捜してくれた物件だった。
アパートの前には最新型の自動販売機が2台並んでおり、ランダムに選択ボタンが点滅している。
桜は不意にその前で立ち止まった。
「喉が渇いたのか? そう言えば冷蔵庫に何も無かったかもしれないな。
買っていこうか、何がいい?」
「これ、病院にもありましたね。ここへ来るまでにも何度も見ましたわ。
ボタンを押すだけで飲み物が出てくるのですか?」
その台詞に唖然とする翔を横目に、「何も出てきませんわ」と言いながら次々にボタンを押してみるさくら。
冗談のような行動に呆れながら「金を入れなきゃ出ねぇって」と小銭を入れると、「なるほど、硬貨を入れる仕組みになっているのですね」と感心されてしまい更に脱力した。
いったいどんな生活をしていたら自動販売機の使い方を知らない現代人ができるんだ? と頭を抱えたい心境になる。
生活に必要な記憶には支障はないと言った高端院長に「どこがだよ?」と心の中で毒づきながらもう一度病院へ戻したほうが良いのだろうかと半ば本気で考えた。
もしかしたら彼女を自立させるのは、とんでもなく大仕事になるのではないか? と興味津々でボタンを押すさくらを見守る翔の脳裏を一抹の不安が過ぎる。
その不安がこの数日で見事に現実のものとなることを、翔はまだ知らなかった。



