「お仕事ですか?」


静かな声でコーヒーを手渡された時から、アメリカへ到着するまでの間、私は見知らぬその紳士に、私の知らない生き方を教わる事になる。



「はい。
半分は勉強です。

先ほどは恥ずかしい姿をお見せして、失礼致しました。」



「いや、恥ずかしいことなどないですよ。

人には、それぞれの事情ってものがありますから。」



五十代後半ぐらいだろうか、慣れたスーツの着こなしは、それなりの山場を踏んで来た、品格のある、自信にあふれた、余裕さえ感じさせるものに見える。


「失礼ですが、観光にはお見受け出来ませんが。」


「えぇ、東京へは二十年ぶりに戻りました。

妻の分骨を済ませて、帰る所です。」



優しいと思っていた微笑みの裏には、折りたたんだ哀しみがあった。



「あっ、そうでしたか。
それは、痛ましい事でした。


まだお若くていらっしゃったでしょうに…」


「亡くなって、半年経ちます。

やっと妻の想いを叶えてあげる事が出来ました。

僕は、あまり良い夫ではなかった事に、妻が亡くなってから気付いた愚か者なんですよ。

アメリカへ行ってから、一度も日本へ帰る事はなかったんです。


帰りたいと、何度も聞いていながら、実現出来ずに見送ってしまった事が悔まれます。


骨になって戻っても、妻は喜んでくれているかどうか、わからないんですが。


失礼ですが、ご結婚は?」



「はい。

十日程前にしたばかりです。」



「おぉ、それはおめでとうございます。

そうすると、見送りされていた方は、ご主人でしたか。

ちょうどあなたの後ろにいて、目に入ってしまいました。」


「いえ、彼は夫の友人です。

夫は間に合いませんでした。」



何か共通の哀しみを見つけた気がした。


私の事には触れず、彼は話し始めた。



「僕は仕事ばかりしていて、妻が病気になっている事にも気付いてあげられなかったんです。

ばちが当たったんですよ。


最期の時に意識が混濁して、私の手を握りながら、妻は私の知らない男の名前を呼んだんです。