『無明の果て』

週明け、気忙しい朝、いつもと変わらない風景が目の前にある。



ぎりぎりまで悩んだけれど、結局一行に、私の口から転勤の話をすることはなかった。



出来なかった。



一行は私の判断をどう受けとめるのか、想像することさえ怖いほどだ。



「麗ちゃん、聞いていい?

涼と久しぶりに会って、大丈夫だった?」



「大丈夫って、何が?」



「送って行くって、涼とあれからどうしたのかなと思って。」



「お茶飲んで帰ったよ。
仕事の話とか、一行の演奏の事とかいろいろ話して、それだけ。」


「俺より遅いから、少し心配しちゃったよ。
ずっと一緒だったの?」



「涼くんと別れてから、あのショットバーで飲んでたのよ。

一行はあれからどうしてるのかなぁって考えてて、遅くなっちゃっただけよ。」



「二次会のこと?」



「うん。」



コーヒーを飲みながら、昨夜擦れ違ってしまったそれぞれを、探り合ってしまうのはどうしてだろう。


「一行、ほんとはあまり期待してなかったの。

カッコよくてびっくりしちゃった。

ボーカルも上手かったし。」



「麗ちゃん、今晩時間ある?

この頃ゆっくり話してないし、やっぱりちゃんと解ってもらいたい事もあるしさ。」


「彼女のこと?」


「そう。」


私が今の仕事を捨てて、一行の元で生きて行くには、私の想いと一行の想いが同じでない限り、それが成り立つ事はない。



目に見えている事柄だけで、寂しいだの、切ないだの、うまく伝えきれない感情をコントロールする手立てと、その身の振り方に、どう向かい合っていけばいいのか。



「じゃあ、先に出るよ。」


「一行、すっかり仕事モードね。」


「近くにイイお手本があるもので。

じゃ、帰る頃連絡入れるよ。」


「うん、了解。」



たった今のことだけではなく、ほんのちょっと先の、すぐそこの将来は、二股に分かれた暗く険しい道なんだろうか。



昨夜、あのバーのテーブルの下で涼が握った私の手は、今もそのぬくもりを忘れずにいる。