『無明の果て』

挙式の時すでにわたしの身体は、天に召される運命から逃れる事の出来ない状態にありました。



妻と同じ病名が私の耳に伝えられた時、不思議と恐怖心はなく、なんとなく頭の中で響いていた予感のようなものと合わさりましたが、それでもやはり導かれ神父となった私の真意が試されてでもいるように、過酷な人生を少しだけ振り返らずにはいられませんでした。



私はその時決心したのですよ。



妻の元へ行く日まで、あなたが私に与えてくれた神父としてのただ一度の結婚式を、心をこめて祈るためだけに私は毎日を生きようと。



私とあなたが出会った理由のひとつは、この祈りのためにあるのだと。



妻の手紙に書いてあった

「奉仕の心」は、

ここにあったのだと。


有難いことに病を知った後でも、やるべき仕事がちゃんと与えられる喜びが私には残っていました。



私に出来る事の全てで、幸せのお手伝いをさせて頂こうと、そう決めたのです。


今思えば少しはしゃぎ過ぎて、写真の顔がひきつっていましたね。


欠如しているものを補う事の限界は、足りないものを継ぎ足す事とは違って、やはり誰にでもやって来るもの、どうすることも出来ない、不可能な事も現実として訪れるのです。


まして命の限界は、誰にもわからない。」



ここまで読んで思い出す岩沢の言葉の意味が、今頃になって深く心をえぐる。



決めた事は今やらないと時間が足りないからと、会社を辞め神父の道を選んだのも、岩沢らしいと聞き流してしまったことが、残念でならない。



それだって、岩沢が教えてくれた、カッコイイ引き際だったはずなのに。



考えてみれば、岩沢と知り合ってたったの二年しか経っていない。


偶然隣合わせた飛行機の席で、私はひとり泣いていた。



亡き妻からの手紙を読んで、岩沢の想いに私は泣いた。



愛する人と生涯の夢を誓い、私は祭壇の前で嬉し涙を流した。