……仕事後、気になった俺は古くからいるバイトの先輩に、この事を話してみた。
「……見たのか、お前。未練の手を」
 先輩は目を見開いて俺を凝視した。
「未練の……手?」
 思わずつぶやくと、先輩は周りに誰も人がいない事を確認してから話し始めた。
「……未練の手。あれはな、このプールで溺れ死んだ人たちの怨念が生んだ幽霊なんだ。初めて人が死んだのは今から30年くらい前、小学3年生くらいの男の子が溺れ死んだ。元気な男の子で、泳ぎは苦手だったものの頻繁にこのプールに遊びに来ていた。遊び飽きたプールから、つい小学生の遊泳が禁止されているエリアに足を踏み込んでしまった。それが運のツキってやつさ。そんな時に限って、たまたま担当の監視員が監視台から席を外していたんだ。……大騒ぎになったよ。でも俺はそこまで責められなかった。なぜなら、誰もそんな男の子の存在を知らなかったからな」
 先輩の最後の言葉はイマイチ頭に浸透しなかったので、俺は聞き返した。
「その男の子の存在を知らない? どういう意味です?」
 先輩は言葉を探しながら続けた。
「つまりな、防犯カメラにもそんな男の子は映ってなかったし、親が見当たらなくて誰の子供なのかわからなかったんだ。とにかく事件のあった時、水から突き出た手を見て、少年が溺れている事に気づいた俺は飛び込んで引き上げて、すぐに人工呼吸をした。救護室に運び込んで心臓マッサージなんかも続けたよ。でも少年の体温はどんどん下がっていったんだ……怖かったよ。目の前で失われていく命を見ていて。マジで怖かった。どれだけ手を尽くしても、助からないんじゃないかっていう不安で押しつぶされていくんだ。そして、自分には何もできないもどかしさ。涙が止まらなかった。」
 先輩は首を振りながら辛い過去を振り返る。
「大変な経験だったんですね。その子はやっぱり……?」
「ああ、死んだ。救急車がたどり着く前に、懸命な介抱も虚しく少年は心臓停止したよ。俺たちは到着した救急隊員にを迎えるために部屋を出た……それから本当の恐怖は起こったんだ」