カイムは仕事終わりの定番、というか自分へのご褒美のためにカフェでパンケーキを頼んだ。人間界で極上のスイーツといえばパンケーキだと、彼は自負する。パン生地上に丸いアイスが乗っている光景は闇が光に変わる瞬間を想起させる。アイスがやや溶けるのを待つのがカイムの哲学でもある。さらにはカフェでは珍しく個室なので、誰かに邪魔される必要はない。難点は駅近ということもありガラス張りの窓から踏切が見え、その音が絶え間なく彼の聴覚を刺激する。悪魔は人間に比べ聴覚が発達しているので過敏に音が体内に侵入してくる。その辺の事情を人間もわかってくれると居心地が良いのだが。
 踏切の音とともに店員がパンケーキを運んできた。もちろんアイスはまだ溶けてなく、パンケーキの香ばしい匂いがカイムの鼻孔をかすめた。
「お客さん」
 女性店員がカイムに話しかけた。
「なにか?」
 カイムは訝しげな表情をし訊いた。目の前にごちそうがあるのに話しかけてくれるとはセンスのかけらもない。ここにもしサザンがいたならば、激高することこの上ない。
「あそこに少女がいるじゃないですか、ずっと」
 店員の指差す方向をカイムは眺めた。たしかに中学生ぐらいの少女がいる。
「それがなにか?」
 再度カイムは訊いた。
「あれは自殺の兆候ですよ。兆候。私もあのぐらいの年齢のときに、クラスでいじめられて、よく踏切の前に立ってましたもん」
 店員は自分の過去をカミングアウトした。
「それに似ている、と」
「似てますね。背中からビンビン感じます」
 そう言って店員は肩をビンビン上下させた。
「考えすぎじゃないかな」
 カイムはパンケーキを見た。既にアイスは溶けていた。
「いえ、間違いないです。お客さん、様子見にいってきてくださいよ。私はまだ業務中ですし、それにお客さん、そういう仕事関係の方じゃないんですか?」
 たまに人間界にもカイムの正体をズバリ言い当てるものがいるが、だからといってそれが的を得ているわけではない。人を救っているわけではなく、悪事を裁いているのだ。どうもこの変の認識がうまく浸透していないことに、カイムは憤りを感じる。
 そう、だから少女は悪事は働いているわけでもなければ、自殺をするとも限らない。なのでカイムの出番はない。
 が、「ほら、お客さん。少女が一歩前に進んだ。間違いないですよ。早く」店員は、カイムの腕をとり立ち上がらせ、行ってこい、と命令口調で踏切へ向けて再び指をさした。
 いやいやながらも少女の背後にカイムは立った。さらに店の方を見る。業務中と言っておきながら店員がこちらを鷹のように鋭い目つきで見ていた。
「少女よ」
 カイムは声を掛けた。びくっと少女の肩が上がった。そして彼の方を振り向いた。それは中学生にしては大人びた顔立ちだった。成人すれば容姿端麗コースだろう。長い艶やかな黒髪。くりっとした目。タイトなTシャツにタイトなデニム姿だった。赤のスニーカーが愛らしい。
「ほっといて」
 ツンとした表情をした。
「そこにいたら危ないぞ」
「大人には関係ないでしょ。大人が家族を崩壊させたんだから」
 少女の言葉には険が含まれている。どうやら一筋縄ではいかないし、なにかしら〝大人〟に対して恨みがあるらしい。
「よかったら話を聞かせてもらえないか。大人が崩壊させたなら大人が修復できることもあると思うんだ」
 カイムはなぜか言葉がスラスラでた。やはり女に弱い。
「あなた、面白い言い回しするのね。大人のくせに」
 少女は笑うと八重歯をのぞかせた。間違いない、大人になったらモテる。