「バラを胸元に挿しといただろうな?」
 サザンは仕事に対して厳しい。悪魔になって日の浅いカイムの仕事を逐一チェックしてくる。上に立つものは大変だ、彼はそう思う。
「ベッドに寝かして、両手をへその辺りで組み、両指の間にバラを一輪挿しときました」
 カイムはその光景を想像しながら言った。悪魔界三大派閥の一つ『デス』にはこだわりが多い。いや、むしろ統括するサザンのこだわりといえるだろう。音楽、絵画、陶芸、文学、それら芸術性をサザンは何より大事にしている。だからか〝死〟んだ後の造形に美を求める。今回はバラを一輪挿すこと、だ。

「想像するだけで美しいな。あとでフォトメモリーを転送しとけ。俺のコレクションに加える」
 フォトメモリーとは自分の見た光景の一部分を写真にし、他者の脳内に送る能力であり、一応それが仕事後の報告書変わりでもある。
 サザンの指示に対して、「わかりました」とカイムは答えた。
 
 それからしばし沈黙があった。周囲の雑音が否が応でも聞こえてくる。
 平和なものだ、カイムは思う。人間界には悪事を取り締まるべき、警視庁という崇高な機関があるが、彼らも忙しそうだ。そんな彼らの魂を喰らったことがある。彼らは悪を捕まえる側にいるにも関わらず職権を利用し悪事を働く。なによりカイムが苦笑したのが、〝痴漢〟〝強姦〟、だ。いや、笑ってはいけないことはわかっている。こういう女性の敵にはカイムはうるさい。なぜならカイムは昔天使であったが、女好きがたたり、激しく交際をし、とっかえひっかえを繰り返していたら、天使界の上層部から〝不埒〟というレッテルを張られ、もう一度悪魔から修行し直してこい、という通達が下った。昔は、そんなことをしても特に何も言われなかったが、どうやら悪魔界の人材不足は深刻らしい。一定量の成績を積み、サザンに認められれば、天使になれる。
 が、稀に悪魔のままでいい、という変わり者もいる。そういう輩は魂の味が好きなのだ。大方の悪魔は魂の味に嫌悪する。特に高齢になってまで悪事を働く人間の魂は臭い。この世のものとも思えぬ臭さだ。魂すら腐敗している。それを喰らうと二日酔いのような状態になる。
 カイムが悪魔になって初日の仕事が老人で殺人マニアだった。〝生涯現役〟と背中にプリントされたTシャツを着込んでいた。わかりやすい男、だ。とカイム思った。
 しかしその男の死に際の言葉は彼の心を抉った。
「なぜ快楽で人を殺す?」
 カイムは問う。
「快楽じゃねえよ」
 唾を飛ばしながら老人が言った。
「快楽じゃない?」
 カイムは首を傾げ、縛られた老人の周囲をぐるぐると歩く。
「心が薄汚い人間を殺して何が悪い。しっかりと生きてるやつが評価されなくて、ずる賢く、人を蹴落とすことしか考えてないやつが評価される。それはおかしくないか?お前この世で何が大事かわかるか?」
 カイムは老人を見据えた。前半部分の言い分はわからなくもない。が、人間というのは難しい生き物ということも事実だ。どこかで蹴落としたり、貶めたりしなければ、這い上がることは難しい。ずっと陽のあたる道を歩いているものもいれば、暗い道を歩いてるものもいる。仄かな光を探して。だが、老人の最後の問いかけに対しては首を横に振った。
「信頼と習慣じゃよ」
 老人を断言した。
 しかしカイムの表情は曇った。それがときにあだとなるのではないか。
「お前さんの言いたいことはわかる。信頼につけ込んで詐欺やらが横行するとか思ってんだろ?」
 老人の問いかけにカイムは軽くうなずいた。
「それでも信頼してしまうんだよ。じゃなきゃ人間じゃねえ。だからこそワシは信頼を反故にする奴らを許せねえ。だから殺すんだ」
「なるほど」カイムはニヤッと笑い、「だが、それは僕の仕事だよ」と付け加えた。
「で、ワシはやはり死ぬのか?」と老人は望みがあるかのように目を輝かせ、「ワシも悪魔になりたかったな。人ではなく」とつぶやいた。
「なれるさ」
 カイムは一言つぶやいた。
 その後、老人の魂を喰らった。やはり臭く不味かった。それでもいつものように不快ではなかった。心安らぐ、穏やかな気持ちになった。おそらく老人の思考と悪魔の思考がどこかでシンクロしているからだろう。たしかに人間としてではなく、悪魔としてだったら少なからず評価はされていただろう。
 が、人間としては評価されない。人を殺すのは理由がどうであれ、駄目なのは駄目なのだ。
「おい!カイム!カイム!」
 サザンの連呼で、カイムの思考は現実に戻された。
「申し訳ありません」
「聞こえていればそれでいい。返事は悪魔で重要な儀式だ。応答がないと不安になる。そえは人間でも悪魔でも天使でも同じことだ」
「心得ております」
「まあ、次の仕事まで待機しておいてよ。次はジェントルマンな装いだと思うから」
 そう言ってサザンの電話は切れた。
 ジェントルマンな装い?どういうことだろうか。現在のカインの服装は白シャツにチノパンという比較的カジュアルな服装だ。悪魔は仕事のために容姿が変わる。だいたいが女性受けする顔立ちに変化する。それはサザンの意向であり、美学でもある。それに対してカイムはとくに不満はない。なぜなら女好きだからだ。