だが、疫病は羊とは無関係で、実は後白河の異母妹・八条院の仕業だった。 八条院は、後白河の第三皇子・以仁王の養母。 以仁王は、父に忌まれ、高倉帝の母・建春門院の阻止にあい未だに親王宣下すら受けられていない。 だから八条院は、後白河の第七皇子・憲仁親王がわずか六歳で親王宣下を受け、八歳で即位、高倉帝となったことに不満があった。 建春門院の出自が平家ということも加え、平家の娘が高倉帝に入内することを良く思わない八条院が、それを阻止するべく悪評を流したのだ。