大老となった井伊さまは、江戸の治安を守るためにと反対派の勢力に弾圧を加えました。


 これが世にいう『安政の大獄』です。


 これによって、たくさんの方たちが処罰され亡くなりました。



 ―――そして。万延元年(1860年)三月三日。



 雪の日の朝、大老・井伊 直弼さまは水戸の浪士達の手によって、江戸城 桜田門外で暗殺されました。



 ……幕府が水戸藩を兵力で弾圧しようとしたのを止めさせ、水戸藩に誠意をもって接触し、ひとりも処罰することなく騒ぎを静めたのは、

 我らが主君、会津藩主・松平(まつだいら)容保(かたもり)さまでした。



 桜田門外の変のあとをうまくまとめた容保さまのお働きは、幕府の上役の方がたから、たいへんな評価と人望を集めました。


 けれどそれ以来、容保さまの……会津の運命は、

 大きく変わっていったのです………。