この空のした。〜君たちは確かに生きていた〜

 



そして―――二十四日にとうとうお城を西軍に明け渡すこととなり、それを聞いた私は、母さまとまつと一緒に、降伏の翌日(二十三日)お城へと向かいました。



城下はひどく荒廃した有様でした。



郭内外の屋敷や日新館などの建物、商店はほとんど焼け落ち炭と化していて、焼け残った蔵や家財は、西軍の手によって公然と売買が行われている。


道端には数々の(むくろ)が、その無惨な姿を晒されたまま。

堀や川にも水を含んで倍にも膨れた死体が、身ぐるみを()がされ、全裸に近い状態で浮かんでいる。


吹き抜ける秋風は硝煙の匂いと腐臭を孕み、それが鼻腔をつくたび目や口元を覆って、胃の腑から込み上げてくるものを必死でこらえた。


通り過ぎる人達の顔も精気がなく疲れ果て、ただただすべてがこの世のものとは思えない凄惨な情況を呈しておりました。


見上げる天守の美しく壮麗だった姿は見る影もなく、集中砲弾を浴びて赤瓦が吹き飛び、白亜の城壁も穴だらけで、哀しい風情で佇んでおります。


あまりの恐ろしさと悲しみに、この場を逃げ出したい気持ちを精一杯抑えて、私達はなんとかお城の三の丸の御門前までたどり着きました。


御門の外側にはお城から出てゆく人、家族の安否を確認しようと訊ね歩く人などで溢れかえり、とてもお城の中まで入ってくら子さまとさき子さまを探すことなどできそうもありません。


お城の中から運ばれてくる傷病者も、御門外にあてがわれた台の上に次々と乗せられてゆき、その数は何百人はいると見られました。


城南の方角の高台には、敵軍の兵士達がこれまた何百人と警備していて、その兵士達が身につけている赤や萌黄色の頭巾がやけに鮮やかに見えます。


それに比べてわが味方の会津兵達は、精も根も尽き果て、まことに哀れな姿で御門を通って行くのでした。


城内にいた殿方は猪苗代へ謹慎となったそうで、皆さまはそちらに向かわれるのです。


私達はそれを見送りながら、しばらくそこに立ちつくしていました。



と、母さまののどから、何かに気づいたように息を飲む音が聞こえます。
次の瞬間、母さまはもう駆け出しておりました。


その視線の先にいる人を認めて、私とまつも急いで追いかけました。