まつの幸せ。
それは兄さまが 心から望んでいたこと。
今あるまつの姿は、 けして後悔するべきものじゃない。
弥平太さんがいて、吾郎ちゃんがいて。
温かく包んでくれ、そして包んであげたい大切な家族がいる。
「そうよ……まつの幸せが兄さまの願いだったんだもの。
吾郎ちゃんの可愛い姿も、兄さまに見てほしかった……」
目が潤んでしまう。
きっと吾郎ちゃんのお顔を、兄さまもご覧になりたかったでしょうに。
けれどもまつは言った。
「八十治さまなら、吾郎の顔を見に訪れて下さいましたよ」
「えっ……?本当に!?」
「ええ。たしかあれは、今月の中頃だったと思います。何の前触れもなく訪ねて来られて」
「報せを出せばまつのことだ、大層なもてなしを受けそうだからな」と、いつものように笑っておられたという。
驚いた。兄さまはまつのところへ、会いに行っていたんだわ。
「吾郎も馴れない手つきで抱いていただいて。始終笑顔でいらっしゃいました」
「……兄さまはやっぱり、まつのことが好きだったんだわ。
だから最後の別れを伝えに、幸せな姿を見届けるために、まつに会いに行ったのよ……」
確信してつぶやいた私は、ふと自在鉤に吊してあった鍋を思い出す。
視線をそらした私に、まつは驚いような声を漏らした。
「ゆきさまは……何もお気づきにならないのですね。八十治さまの本当のお心を……!
あの日あの方は、あなたさまのことを……!」
「えっ?」
ほったらかしだった青菜に気づいて、鍋に気がそれた私はまつを振り返る。
「ごめんなさい。青菜茹ですぎちゃった。それで今、何て言ったの?」
思い詰めたような目で何かを伝えようとしていたまつだったけれど、やがて諦めたように淋しげに目を伏せた。
「……いえ……。八十治さまはお優しい方ですから。
私を気遣かって訪ねて下さったのでしょう……」
すっかり色の悪くなった青菜をあわてて笊に上げながら、まつはわかってないのねと微笑が漏れた。
冷たい水に青菜をさらす私の後ろで、まつはひとり言のようにつぶやいた。
「結局みな……。叶わぬ恋をしていたということでしょうか……」
淋しげに響くそれは、土間を吹き抜ける秋の風に連れ去られるように消えた。
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