そのころ京におられる容保さまは、度重なる不運に見舞われておりました。



『禁門の変』のおり、協力して長州を追い払った薩摩が長州と手を結んでしまい、

長州藩の内部でも新勢力が実権を握り、再び反抗の姿勢を見せたからです。


薩摩の手も加わり、着々と軍備を整える長州とは違い、幕府の力は目に見えて弱くなっておりました。



第二次長州征伐を進めようとした七月、十四代将軍 徳川家茂公が、大坂城でご病死してしまいます。


その後、十二月五日に一橋慶喜公が、十五代将軍にご就任されました。



そして、その年の暮れも押し迫った十二月二十五日。



容保さまにとって、あってはならない事態が起こります。



公武一和を切に望んでいた孝明天皇が、崩御されてしまったのです。



堅く尽忠を誓い、何よりも頼りにされていた天皇がお亡くなりになり、容保さまは深い悲しみに暮れました。





そしてこれを機に、京を中心とする政治情勢は、急転回してゆくのです。