その後も、元治元年(1864年)七月十九日。
蛤御門の前で、兵を集めて攻めてきた長州軍を、会津・薩摩・桑名の三藩が御所を守るために迎え撃ち、これを総崩れにしました。
『蛤御門(禁門)の変』です。
そしてそのおり、御所に発砲したのを理由に、長州征伐が始まりました。
長州征伐は長州藩が降伏恭順し、とりあえず治まりましたが、
油断ができない長州に、戦に向けての兵力投入はこれから確実に増えていくようでした。
……私は子供で、遠く離れた場所で苦労されてるお殿さまのお話を聞いても、ああ大変なんだなあと思うくらいで。
いまいちよくわからず、不安も焦りも、あまり沸いてこないのです。
けれども利勝さまが話されていたように、家でも時おり、お父上さまと兄さまが難しいお話をされてるのをお見かけしますと、
やはり男の方というのは、利勝さまや兄さまのような年若い者でも、
国の行く末を考え、自分でも出来ることを模索しているものなのだと、
羨ましくも遠い存在に思えてしまうのです……。
………私に。こんな私にも、何か出来ることってあるのかしら………?
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