――――たしかに去年までのあいだに、京の都ではいろんな事件が起こっていました。


容保さまがご上洛された次の年の、文久三年(1863年)八月十八日。


会津藩と薩摩藩が手を結び、日が昇るとともにいっせいに御所九門を固め、長州藩を御所の警備から外しました。

睨み合いのすえ、長州藩は御所に向け発砲することが出来ず、やむなく引き返します。


朝廷の実権を握っていた尊攘派の公卿、三条(さんじょう) 実美(さねとみ)ら、七卿は長州へ落ちのび、容保さまは御所から過激な尊攘派を一掃されたのでした。



『八月十八日の政変』です。



この働きでさらに孝明天皇のご信頼を得た容保さまは、その十月に孝明天皇より御宸翰(※)と御製(※)を賜り、

喜びに感泣した容保さまは、孝明天皇に堅く誠忠を誓うのでした。





御宸翰(ごしんかん)……孝明天皇の非公式の
直筆のお手紙。この手紙には、容保の忠誠を心から喜んでいると書いてあり、その深い信頼を証明している。

御製(ぎょせい)……孝明天皇の和歌。