「あの女が全て悪いんだ!
何もかも―」
そこまで言ったところで力強く私の胸ぐらを握っていた男の右の手の平が開いた。
瞬間、勢いよく体を後退させ男と距離を取り身構えるが、どうやらこれ以上こちらに危害を加えるつもりはないらしい。
深く項垂れた体を震わせながら「あいつが…佐絵子が…」と呟いているのが微かに私の耳へと届く。
その声は、まるでなにかに怯えるかのようにか細く今にも消えてしまいそうなほど儚いものだった。
彼と出逢ったのはほんの数時間前であるにも関わらず、まるで積年の友人に抱くかのような感情が胸の奥から沸いてくるのがわかる。
同情―哀れみ―
おおよそ初対面の、しかも自分のワイシャツの襟をしわだらけにした相手に抱くようなものではない。
が、彼が先程まで強い口調で話していた内容が私に無関係ではない事を考えると、今私が胸中に抱く様々な感情や思考は至って正常なのかもしれない。