「何で?だってせっかく友達も……」
「ああ、毎晩彼女の部屋を見上げるだけだった。雨が降っていても、風が吹いていても、彼女の部屋を見上げた。彼女の部屋明かりが消えると、パパは暗闇の中にいて、その場を去ったよ。そんな日が毎日続き、そしてパパは諦めた」
「諦めた?彼女に告白もしなくて?」
「薔薇もすっかり枯れ果てて、最後に枯れ果てたピンクの薔薇を、彼女の家の玄関にそっと置いてパパは去ったんだ」
「恋の終わりだ……」
 愁は亨の話に聞き惚れて言った。
「ああ」
「でも、彼女と学校では会ったんでしょ」
「ああ、顔は合わせたが話をすることがなかった」
「そうなんだ……」
 愁は俯いた。
「それから一週間たった時だ。愁、奇跡は起こったんだよ」
「奇跡?」
「それは、雨が降っていた寒い夜だ。パパが家に帰ると、家の玄関に薔薇が置いてあった。枯れていない、鮮やかに咲き誇ったピンクの薔薇だ。パパはそれが返事だと思った。彼女が薔薇を返した、本当の恋の終わりかと……パパがその薔薇を手で掴んだとき、パパの背後に人影があった。振り向くと、傘もささずに笑っている彼女がいたんだ」
「パパ!」
 愁にはその彼女が誰なのか分かった。だが、その後の言葉を亨の口から聞きたくて、黙って亨を見た。
「その彼女の名は、金井 恵子という」
「ママだ!」
 愁は思わず叫んだ。愁の思った通りだった。亨と恵子の甘い恋の話に取り付かれていた。甘い香りに抱かれながら、その目の前にあるピンクの薔薇を眺めていた。<パパにとって、ピンクの薔薇は甘い恋を抱く花。僕にとっては……>いったい何だろう。愁は考えた。
 「二人とも、夕食の時間よ!」遠くから叫ぶ声がする。恵子だ。亨は見上げ叫んだ。「おう、すぐ行く!」そして、亨は愁の顔を見て言った。「この話は、ママには内緒だぞ」愁は大きく頷(うなず)き、亨は愁の頭を撫(な)でた。そして二人は家へ戻った。
 日が暮れて、すっかり部屋の整理が途中だということを忘れていた。
<まぁいいか、今度やろう>