いや、信じたくなかった。
 いつの間にか、恵子の目に涙はなかった。恵子は寂しげに愁を見つめ「さ、パパが待ってるわよ」言うと、引きつるように笑顔に変え、愁も引きつって笑って頷いた。そして部屋を出た。


 沢山の人が集まっていた。シクシクと音を立てて啜(すす)り泣く人、亨との思い出に浸る人、それぞれが色々な思いを持っていた。
 廊下を歩く微かな音。客間の扉が開かれ、そこには愁が立っていた。人々の目は一瞬、愁に向いた。愁は周りの人々を見るわけではなく、真っ直ぐと向き歩く。その先には布団に横たわり、顔に白い布が被さっている亨の姿があった。愁は歩く。人々は愁を追った。愁はゆっくりゆっくりと亨だけを見て歩いた。恵子は遅れ、客間に入って愁の後ろ姿を見ていた。
 愁は亨の側に立つと静かに座り、顔に掛かっている白い布をそっと取る。亨の顔はとても綺麗だった。「パパ……」声をかけ、亨を見つめる。「パパ……」もう一度声をかけたが、返事は無かった。まるで生きてるような顔が、永遠の眠りについた孤独な抜け殻となってるようだった。「パパ……」最後にもう一度呼びかけたが、その声に力はない。愁にとって、初めての感情だ。胸が抑えられ、自分の思いさえ分からず、戸惑いを感じている。愁はそっと白い布を被せ、立ち上がった。目に力を入れ、涙を堪える。
 人々は悲しんでいる。その間をゆっくりと通り、客間を出た。恵子は部屋の隅で愁の行動を静かに見ていた。