二度目の恋

 それからどのくらい時間がたったろうか。随分とこの場所に座っている。妖精もいなくなっていた。「パパ」愁が呼んだ。だが、亨は振り向かなかった。愁の声が聞こえたのか、聞こえなかったのか分からなかったが、黙って亨の姿を見ていると、亨は突然静かに立ち上がり、その場を離れた。
 結局魚は一匹も捕れず、湖を後にした。深い深い霧の中、何も語らず山を下りた。日は昇っている。霧の中を彷徨い、愁の心の中に静かに水の音が木霊している。
<僕は、とても清々しい気分になった>


 愁は眠っていた。ベッドの中で、安らかな夢を見ている。
 カーテンの透き間から、強い日差しが部屋の中に差し込み、愁の顔にあたった。それで愁は目を覚ました。
 ベッドから降りて窓に向かい、そしてカーテンを開ける。晴天だ。朝亨と釣りに行ったことがまるで夢のようだった。涼しい風が部屋に入り込む。その風にあたり一呼吸して、部屋を出た。
 寝室を覗いた。亨がまだ寝ていると思ったんだ。だが、そこには誰もいなく、布団は畳んであった。一階からまな板を叩く音が聞こえ、愁は階段を降りると、恵子が台所で朝食の用意をしていた。「おはよう」愁が呼びかけた。「あら、起きたの?おはよう」恵子はまな板を叩きながら言った。「パパは?」愁は聞いた。一瞬恵子の動きが止まったが、またすぐにまな板を叩いた。「仕事よ」恵子は言った。「仕事?今日は早いんだね」愁は食器棚からコップを出し、冷蔵庫からオレンジジュースを出して注いだ。「そうね」恵子は愁の目を見ることなく言った。愁は居間へ行き、食卓へついた。その席から窓の外を覗くと、赤いオンボロの軽自動車が見えた。亨がいつも仕事に行くときに乗って行く車だ。「ママ!車あるよ!」愁が叫ぶと、恵子は食事を持って、台所から来た。「パパはね、遠くへお仕事に行って、暫く帰ってこないの」恵子は言った。「遠く?」愁は不思議に思った。「とっても遠い所よ」恵子は言った。「どこ?」疑問に思った。「……山を二つぐらい越した先ね」暫く考えて、恵子は答えた。「だって今朝……」何も言ってなかった。亨は今朝湖に行った時は、何も言ってなかった。「今朝?」愁は慌てて口を瞑った。湖の事は秘密だ。<パパはママに何も言わないで、家を出たんだ。約束だ ……パパとの約束だ>愁は自分に言い聞かせた。恵子は愁の行動に、少し疑問を持ったが、話を続けた。