「お父さんを殺さないで」
今まさに香織の目の前で安田さんが殺されようとしていると悟った。
紀之さんの言うとおり小村が『鵺』だとしたら、重傷の安田さんに勝ち目のないのは明らかだった。
おじい様が香織を狙っていたのなら、彼女にも危険が及ぶ可能性は高い。
香織を連れ去ろうとした目的は不明だが、一度失敗した以上、今度は誘拐だけで済まないかもしれない。
一刻の猶予も無かった。
再びこめかみから血が流れたが、拭っている暇は無かった。
声の方向から香織の位置を推測し、闇の中を疾走する。
だが焦る気持ちと裏腹に、木の根に足を取られ、枝に進路を阻まれ、僅かの距離がなかなか進まない。
左眼は流れる血液で霞み、ほとんど見えなかった。
まるで自分の周囲だけ時間がゆっくり進んでいるような錯覚に苛立ちが募った。
走り続けているのに苦しさも熱も感じない。
流れる汗は氷のように冷たかった。



