もしも彼女が冷静だったなら、それが罠だとすぐに解っただろう。
だが、長期の監禁と出産で心身ともにボロボロになっていた彼女に、それを冷静に確かめるだけの気力は残っていなかった。
俊弥の呼びかけに僅かに反応した彼女は、最後の願いを伝えると、腕の中で静かに息を引き取った。
俊弥があと少し早く着いていたら…
彼女がもう少しだけ、俊弥を信じて待っていてくれたなら…
夫が仕掛けた罠に嵌る事無く、二人で幸せに暮らせていたかもしれない…
だが彼女はその罠に嵌り、永遠に俊弥の元を去ってしまったのだ。
俊弥は逃げた。
泣いている暇は無かった。
彼らが自分を見つける前に、娘の存在を隠さなくてはならなかった。
足跡を消し去る雪が、二人の痕跡の全てを隠してくれるよう願いながら、小さな命を抱きしめて走り続けた。
――せめてこの子だけは…一族の手の届かないところで幸せに―…
彼女が消え逝く最後の瞬間の切なる願いを叶えるために―…



