思い出した過去を語り始めた香織の声は、淡々としており感情の抑揚もなかった。
プールの底で見た感情のない瞳を思い出しゾクリとする。
ようやく合点がいった。
プールに飛び込んだり、おかしなことを口走ったりと、不安定だった先ほどまでの状態は、本当の父親の事を思い出したショック状態だったのだ。
香織の心が冷めていく様子がこの部屋の恐ろしいほどの静けさを漸増(ぜんぞう)させていく。
誰も動くことが出来なかった。
「あたしを幸せにする『義務』って何ですか?
失踪した父に対しての義理立てですか?
他人の子を立派に育てられなかったと思いたくないからですか?」
両親に向き直り、恐ろしいほどに冷たく告げる香織。
他人行儀な物言いに、夫人はショックで泣き出し、秋山氏は言葉を失い苦しげに唇を噛んだ。
ただ一人、おばあさんだけがその様子を冷静に見ていた。
「あたしなんかを娘として育ててくれた事には感謝しています。
でも育てたから『義務』で幸せにしなくちゃいけないなんてそんな責任はいりません。
娘を捨てるくらいですから、父はあたしの幸せなんて望んでいなかったと思います。
『義務』になんか縛られないで下さい。
あたしは誰かの枷になって生きたくはないんです」
冷たい瞳は両親に向けられているが、何も映していない。
言葉とは裏腹に、崩れそうな心を支えようと無理をしているのは明らかだった。
掛ける言葉も見つからず、無言で震える肩に腕を回すと崩れるように僕に身を預ける香織。
その蒼白い顔も、触れる指先も、まるで今まで水底に沈んでいたかのように冷たかった。



