「大和に向ける愛情と、お腹の子に向ける愛情は別物のような気がするんだよね」
「どういう事?」
「ん~、言葉にするのは難しいんだけど……。倖せのベクトルが別なのよ」
「倖せのベクトル?」
「うん。大和に対しては、お互いに対等でありたいと思うし、倖せにしたいと思いながら、倖せにして貰いたいと願ってしまうの」
「………ん」
「だけどね、子供に対しては、倖せにしたいとか、倖せにして貰いたいとかよりも、生涯倖せでいて欲しいと切に願う感じなの」
「………なるほどな。俺に対しては1人称だけど、子供に対しては3人称で捉えてるって事か」
「…………そうね、そういう事みたい」
子供の倖せを願わない親はいないと思う。
勿論、不自由なく生活出来るように倖せにするのは当たり前なんだけど、子供視点で考えると、親の独りよがりの倖せでなく、子供自信が感じる倖せが一番だと思うから。
子供が何に対して倖せと感じるのか。
将来、親よりも大事な人が現れ、その人と倖せに暮らして貰いたいと願う気持ち。
それが、子供に向ける愛情なんだと思う。
まだこの世に生を受けていなくても、既に芽生えた命に変りはない。
そして、その命が私のお腹で育っているという事に、倖せを感じずにはいられない。



