「ね。苗字の方がめんどくさいことにならないって」
私は、滑稽なくらい必死に樫野くんを納得させようとしていた。
そんな私の必死さが伝わったのか、
「……わかった」
と樫野くんは、ふい、と視線を前に戻して呟くように言った。
「……うん、そうしよう。そのままで!…じゃ、じゃあもう用は済んだし、私、帰るね!」
「後夜祭、まだ終わってねーけど」
「いい!嘉乃、用事あって帰っちゃったから、私もさっさと帰ろうと思ってたんだ!樫野くんは、楽しんできなよ!……じゃね!」
私はすっくと立ち上がると、樫野くんの方を見ることもなく歩き出した。
……どうしてか、私の歩調は自然に早足になっていた。
……一刻も早く、ここから、逃げ出したいような気持ちになっていて。
だから。
自分のことで精一杯だった、私には。
「……別に、俺は誤解されたっていいけどな」
という、樫野くんの呟くような声は、届いていなかった。


