俺は色が剥げた扉の取っ手に手をかけた。取れてしまいそうだが、取っ手は辛うじて扉に喰らいついている。引くと、扉は開いた。



「いらっしゃい」



 店主がローテンションで俺を迎えた。案内されない所をみると、好きな席に座って良いらしい。俺は一番奥の窓際に席を取った。カウンターにいた店主はかち割り氷と水道水をグラスに入れてから、俺に近寄って来て、それと脇に挟んだメニューとをテーブルにそっと置いた。

 店内は店主の顔がはっきりと見えない程に暗かった。だから客も俺以外一人もいない。昼間からこんな暗い店に誰が好き好んで入ろうとするだろうか。商売する気があるのか、この店主。



「アスカルさんも一緒かい」


「後で、来るって言ってた」


「そうか。いつもご苦労さま」



 多分、アスカルが俺の特徴と一緒に店主に俺の事を話しているのだろう。でなければ俺がアスカルの連れだは分からないし、いつもご苦労さまと言われる筋合いもない。初対面の男に自分が知られていると言うのは何とも不思議な感覚であった。俺はカウンターに戻って行く店主の背を眺めながら、そんな事を考えていた。


 俺は無意識に、テーブルに置かれていた水に手を伸ばした。

 喉が渇いていた訳ではないけれど、俺はその水を一気に飲み干した。氷で冷やされた水道水が喉を通っていく。美味い。ただの水道水が美味いと感じるのは良いとは言えない気もするが、美味い。

 グラスをテーブルに置くと、物音一つない店内にその音が響いた。だが店主はそれを気にするでもなく、扉を見ながら他のグラスを磨いている。誰かを待っている様にも思えるし、何も考えていない様にも思える。


 まあどちらでも構わないか。


 俺は空いた腹を満たす為に店主がグラスと共に持って来た黒革のメニューを開いた。こんな所に金をかけるなら、もう少し店内に気を遣えば良いものを。


 さて、何を食べようか。

 タマゴサンド、ハムサンド、ツナサンドにミックスサンド。オムライス、ハンバーグ、とんかつ定食、親子丼、五穀雑炊、あぁ、どれにしよう。どれも捨てがたい。

 ここは軽食のサンドウィッチが充実しているようだ。書いてあるメニューの他に、材料さえあれば無茶も聞きます、と記されている。無茶。例えばどんな無茶だろう。カツとキノコとタマゴと納豆、とか。そういえばとんかつ定食はあるのに何故カツサンドがないのだ。


 ばたん。いつ開いたのか分からない扉が閉まった。店主が先ほどと同じローテンションで「いらっしゃい」と客に告げる。客の足音は迷わず俺の方へ来た。



「まだ注文していないのか」



 その言葉で俺は始めて、アスカルがやって来たのだと気付く。服が変わっている。真っ黒なスーツからラフな格好になった。どこに着替える必要があったのかは知らないが、まあ良い。



「早く決めろ」


「……じゃあ、オムライスにする」


「マスター、オムライスとホット」


「はい」



 ホットコーヒー。多分アスカルはブラックだろうな。