「…でもまだ専務の気持ちを確かめたワケじゃあ…」
「無理だと思う。
私を愛してくれた仁は、もう居ない…」
「星良ちゃん…」
「仕方ないよ。
私がどう足掻(あが)いても、どうしようもない事だから…
でもさ、仁に直接気持ちを伝える前に、ここで彼の気持ちが分かって良かった。
勘違いしたまま告白して恥をかくとこだった」
期待なんかしちゃいけなかったんだ。
たとえ一瞬でも、仁が私を愛してくれてた事があったと分かっただけで十分じゃない。そう考えれば、辛くなんかない。
辛くなんか…ない…
そう自分に言い聞かせ、震える下唇をグッと噛み締める。
今度は私が仁の幸せを願う番だよね。
どうか、仁が幸せになりますように…
自分の夢を諦めてまで支えた大切な人と、今度こそ幸せになりますように…
まだ納得いかない顔をしてる明日香さんと病院を出ると、霧雨が見慣れた景色をやんわりと濡らしていた。
「本当に専務に会いに行かなくていいの?」
「うん…」
そう言って頷くと、私は雨の中に一歩足を踏み出す。
「ねぇ、明日香さん。悪いけど、私、今日はもう帰っていいかな?」
「え、えぇ…いいわよ。マンションまで送るね」
「有難う…」
淡々とした会話を交わし社用車に乗り込むと、明日香さんが前を向いたまま私の右手をギュッと握り「明日のリハーサル…大丈夫?」と聞いてくる。
「大丈夫だよ。仕事だもの私情は挟まない」
"私情は挟むな"それは、仁がよく言ってた言葉。
「分かったわ。私、今日はこの車に乗って帰る予定だから、明日の朝、マンションまで迎えに行くね」
「うん…」
ゆっくり動くワイパーに掻き消される小さな雨粒を見つめながら不思議に思う。
こんなに悲しいのに、どうして涙が出ないんだろう…
もっと激しい雨なら、素直に泣けたのかな…



