アーシュトレイは照れくさそうに笑っている。こんな顔を見るのはこの数時間で初めてだ。見れば見るほど子どもらしさを取り戻している気がする。いや、もしかすると初めからこんな奴だったのかもしれない。
俺がしっかり見ていなかっただけで。だが不意にシガーを振り返ったアーシュトレイは、途端に無表情になった。そうして、しばらく動きを止める。彼はあの夢を見るかもしれない。殺し屋が必ず見るという例の恐怖。だがそれは仕方ないことだ。アーシュトレイは俺とは違う。
彼は自らこの結末を選んだのだ。
「ところで」
ボスが咳払いをして、俺を見た。
「お前とアーシュトレイに打って付けの仕事があるのだが」
そう言った彼の顔には不適な笑みが浮かんでいた。もしかすると仕事の電話をした時は
いつもこんな笑みを浮かべていたのかもしれない。薄闇が似合う男。彼がそうなら、俺はアーシュトレイよりも裏社会が似合わない男になるかもしれない。
だが、仕方ないのだ。
「やるか? 報酬はそれなりに出すぞ」
殺しも運命も、全てが仕方のない事。そう思えば俺の思考は楽になる。それは自分の中の善を心の奥底に封印し続ける事になるのだが、そう思わなければ俺の人格は消えていってしまう。闇と共に、銃声と共にそれは崩れて二度と元には戻らなくなるだろう。
本当の人格を保つ為には、殺しは否定すべき悪、自分は犯罪者だと己に言い聞かせなければならないのだろうが――俺は決してそれをしない。
「俺は、やりたいですよエルゼさん。一体誰を殺すんです?」
「今回の件で俺にたてついた輩、全てだ」
「分かりました。ボス」
俺の人格は今、とても落ち着いている。揺さぶるきっかけになったシガーが目の前で消えていったからかもしれない。俺はこのままで良い。抜け出せないのなら従順するしかないのだ。
本当の人格なんて要らない。
自我を保っていられるのなら建前でも構わない。それで俺が壊れないのなら、偽物だって本物になろう。
「行きましょう、エルゼさん」
アーシュトレイが俺を呼ぶ。ボスは既に小屋を出ていた。俺は先ほどのアーシュトレイの様にシガーを一度振り返ってみた。彼に言う事は最早何もない。アーシュトレイの言う通り彼は萩森秋子に会うことも出来ないだろう。最早シガーは会いに行く側ではない。地獄で待つ鬼にでもなったのだ。
再び俺に復讐する為に。
「エルゼさん?」
「行くよ。だが、アーシュ。お前は武器もなくどうやって人を殺すんだ」
俺は独り言の様に呟いて、小屋を後にした。
(終)



