それから、幾日経っただろうか。俺は何かを思い出したのだ。そして自分のアパートへ戻った。何かを取りに返ろうとしていた気がするが、やはり思い出せない。この辺りで分かっている事は一つ。
恐怖から抜け出したはずの俺は、再び――アパートの前で黒のワゴンを目にするのだ。
「言葉もないか、大事なボスを殺されて」
シガーは言った。俺は一時忘れていた現実を目の当たりにする。そしてまた怒りと後悔が俺を支配した。状況は何ら変わっていないが、俺の心は決心を固め始めている。揺ぎ無い、決心である。
「あの時、確実に殺しておけばよかった」
「後悔してももう遅いぜ」
「お前も後悔する事になるさ」
「なぜだ」
「ボスがいなけりゃ裏社会はどうなると思ってるんだ」
「そう言うなら俺の所に来い。お前なら新しいボスになれる」
シガーは唐突に、俺に手を伸ばしてそう言った。乾いた空気が冷ややかな夜をいっそう寂しいものにしている気がする。
俺は伸びてきた手を眺めながら、彼の言った言葉を頭に響かせてみた。考えれば考えるほど、考えたくなくなる。イエスかノーか。こんなに簡単な答えすら出せない俺を手元に置くことで、彼は何を得するのだろうか。俺は自嘲気味に笑った。
いいや、違うのだ、この男は。
「お前は、裏切るって言うのか。俺たちを拾ってくれたボスを」
「今は子が親を殺す時代だぜ。相棒」
口角を密かに上げたシガーは俺に伸ばしていた手を引っ込めた。その仕草の一つ一つを目に焼き付けながら、俺は彼の手が動くのを見ていた。コマ送りの様である。
見れば見るほど、遅くなる。
「それに、ボスはもう死んでる」
「お前が殺した」
「あぁ。だからお前を新しいボスに推薦してるだろ」
生きる為に、彼について行く事はある種正しい選択かもしれない。ボスは倒れているし、俺の手元に銃はない。ここで逆らうのは死を選ぶのと限りなく等しいことだろう。
「諦めろエルゼ。人はすぐに死ぬんだ」
「……そうだな」
「だからお前が先頭に立て。でなければ秩序は本当に消えるぞ」
「……油断は、しちゃいけない、か」
シガーは俺を見て満足そうに笑っていた。だが俺は彼の背後を見ていた。彼の背後で銃を構えるアーシュトレイを、見ていたのだ。
彼はシガーの隣に居る癖に、俺を真っ直ぐ見ている癖に、銃口をシガーの方へ向けている――母を殺された息子がそう簡単に殺人犯に味方するわけがないのだ。
もしも彼が初めからシガーの味方であるとしたら、俺はとっくの昔に殺されていただろう。だが俺は生きている。あの時も、罠だから行くなと俺の身を案じてくれた。アーシュトレイはアパートを出る時にしっかり言っていたのだ。
信じろと。



