この詩集を書くまでは
“私が悪魔を擁している”
と思っておりました

ですが、書き終わったとき
ふと気づいたのです
私がそれ“そのもの”だと
幼い頃から闇が親しかった
その意味がわかりかけ
否、ようやく認めたというのが
正直なところです

その一方で、真実しか見たくない
正義に使命にこの身を捧げたい
という、崇高さと神聖さへの
強烈な憧れと自意識
罪を贖うにも似た理想が
常に自分を突き動かしていて
その自分と闇との葛藤に明け暮れ
死すら望んでいたのも
また事実ではあります

常に激烈に背反する2つの要素
天使と悪魔の戦い、という
深い意識下にあるはずの原初の葛藤
それが、顕在化していたのが
幸せなのか不幸なのか?

だが、どちらにも飲み込まれて
犯されて組み敷かれて思い知るのは
やはりこの対立する陣営は
同じものから分かれ出たのだ
ということです
例のルシフェルの逸話を
引き合いに出すこともないほどに


“それを召喚する必要がない
 私がそれそのものだからだ”


愛がないのも
愛だけなのも
おなじこと

「この白と黒の半々でできている
それが人間というものだ」

当たり前の結論を
新鮮な認識で再び、今


お読み下さり感謝します
心から



          2012.11.15

        アライ・エン拝