とある夜の事だった。

 魔界に朝や昼、夜といった概念は存在しない。
 しかし人の住む下界に憧れを持つ彼らは、人間のような思想や思考を持つ者もいたのである。

 サタンとなった堕天使ルシファーの側近、ベリエルもその一人であった。




 魔王サタンは、そろそろ下界を攻め、手中にしようと考えていた。

 七つの大罪、傲慢を司る魔王サタンにはもとより、人などに羨望はおろか興味はなかった。

 だが天界を攻め落とすのには、見せしめに下界を手中にするのが先手と考えたのであろう。

 何せ、この世に平行世界は三つしかないのだから。







「明日、決行しろ」








 魔王サタンは、そう側近ベリエルに言い放った。




 命令を受けたベリエルは「はっ!」と短く返事をした。



 それを聞いたサタンは優雅な踵を返し、その部屋を出ようとベリエルに背を向けた。

 その時だった。
 

 こちらを見向きもしないサタンに向かい、深く頭を下げ、手を胸に当てるベリエルが――。

「魔王様の仰せのままに――」

 そう言って、ニヤリと三日月のような唇を歪めたのだった。




 そして……。






「なっ……!」




 古代英国の王室を象った、きらびやかな壁と床の装飾が、一瞬にして真っ赤な鮮血に染まった。


 そして呻き声をもらし、驚愕の表情を浮かべたのは、なんとサタンの方であった。







「出来損ないとは言っても……、流石は大天使様だ。天使の血が紅いのは本当だったんですね? 魔王サタン様」




 真っ白な――いや、乳白色の腕がサタンの胴体を貫いていた。
 

 固い、まるで大理石を思わせるような彼の腕をサタン引き抜こうとした。


 だが――。


「クッ……、クハハハハハ!」


 それより先に、ベリエルは自ら手を引っこ抜くと、狂ったように笑い始めた。


 ズボッ、と言う血肉や内蔵のちぎれる、嫌な音が響く。

 高らかに笑うベリエルの口は、耳まで裂けていた――。