降矢の妻はわざとどきつい言葉を選び、周囲に知らしめるように声のボリュームを上げていた。

店内にいる人々が琴美の方を見る。


隣にいる茶髪の男は、考え込むように
腕組みをしてずっと下を見ていて、時々ちらりと琴美の方を見た。


勢いがついた降矢の妻は止まらなかった。


「そういえば、あんた、性病とか持ってないの?梅毒と淋病とか。
下の娘、パパ大好きで、まだ一緒に
お風呂入りたがるんだよね。
もう絶対入らせないけど。
病気が移ったら、恥ずかしくて病院にも行けないし。本当気持ち悪いったらありゃしない。」


「降矢さん…」

茶髪の男が諌めるように降矢の妻の言葉を遮った。


隣のテーブルにいた真面目そうな若いカップルが顔を顰める。


琴美の背後で、すごいわね…と小さな声で誰かが言った。
クスクス笑う声も。


琴美はあまりの屈辱に気が遠くなり、逃げ出したくなった。



ーもうこれ以上、いいでしょう…

悪いのは、誘惑に負けた私。

誰も傷付けるつもりも、何かを捨てるつもりもなかった。

ただ、ケンと甘い時間を過ごしたかった。
これは誰にも知られてはいけない、ケンと私だけの秘密だったのに。




勝手な言い分だと分かっている。



琴美は、顔を赤らめ俯くしかなかった。




茶髪の男が、琴美にまっすぐに視線を向けて、小さく咳払いをしてから言った。


「あの、それで誠意の方は、ご準備して頂けてますか?」


「…はい。」

俯いたまま、琴美は膝に置いた自分のショルダーバッグから、白い封筒を取り出した。




『誠意をみせて下さい。』


昨夜、電話の女の声はそう言った。


誠意。


それが何を意味するか、大人なら誰もがわかるだろう。



夫への口止め。

それは支払わなければならない代償だった。



「ごめんなさい…。
これが私の出来る精一杯なんです。」


琴美は銀行名の入った封筒をテーブルの真ん中に置いた。


家計の全てを透は把握していた。
毎月、透は自分の給料から生活費を引き出し、琴美に手渡していた。


それは夫婦二人だけの暮らしには充分な額で、琴美は残った分を旅行資金として貯めていた。


そこから引き下ろした。これ以上の金額は難しかった。