「自由にやりたいなら、家でやれば。」

麻衣が言い返す。

琴美の胸は高鳴る。
降矢とは同じクラスだ。


背が高く、くっきりとした二重まぶたで薄い唇が特徴的な彼をちょっといいな、と思っていた。
でも、ちゃんと喋ったことはなかった。


降矢はさっき、この教室に麻衣と一緒に入ってきた琴美を見て、「おっ」という顔をしたけれど、何も言わなかった。



教室の中央には、空の折りたたみ椅子が用意されていた。


遠くから蝉の鳴き声が聞こえてきた。

皆、スケッチブックを持ち、朝だと言うのに思い切り汗ばんでる。


こんな汗臭い中、絵を描くのか…



琴美がげっそりした気持ちでいると、白い爽やかな風がふわりと教室に入ってきた。


爽やかな風は、女の人だった。

ボブヘアーのスレンダーな20代半ばの可憐で落ち着いた感じの女性。

ノースリーブの真っ白なワンピースを着て、ウエストにはワイン色の細いベルトを緩く締めていた。

それでも彼女のウエストはびっくりするほど細い。



「こんにちは。
今日、モデルやります。水野ユリです。
よろしくお願いします。」


ユリは歳下の高校生達に何度もうなづくように頭を下げながら、挨拶をした。

男子達の瞳の色が一斉に変わった。


得意げに胸を逸らした麻衣が皆を見回したあと、ユリに近づく。

「部長の佐藤です。よろしくお願いします。」

と言うとぺこりと頭を下げた。


「こちらこそ、よろしくね。
じゃあ。あそこでいいのね。」

そう言うと、ユリは早速、折り畳み椅子に座った。
膝の上で手を重ね、はっとするほど美しい姿勢で真っ直ぐに前を見た。


皆、一斉にいいポジションをとろうと、椅子ごと移動する。

男子の食い付きは半端じゃなかった。

琴美も、仕方なく後方に陣取った。

水野ユリ、と名乗る女性を人垣から覗くように見ると、彼女がやはりとても綺麗な人だということがよく分かる。


長い睫毛に縁取られた、茶色の大きな瞳。
柔らかそうなピンク色の頬っぺた。

するりとシルキーな黒髪。

そして、しなやかに伸びる白い首筋から肩のラインは、なんともいえない大人の色香が漂っていた。



皆、鉛筆を縦や横にかざして持ち、モデルに焦点を絞る。

構図を決めるとスケッチブックに覆いかぶさるように書き始める。

教室内は静寂し、暑さも関係ないその集中力の高さに琴美は圧倒された。


鉛筆の芯と紙がこすれる、シャリシャリ…という音。

その音はまるでこの教室ごと異次元に迷い込んだように感じられた。