「そんなことないよ。思い過ごしだよ。」
琴美は首を横に振り、視線をテーブルに置かれた自分の両手に移す。
今日の為に、ラメの入ったピンクのマニキュアが塗られた指に。
「ならいいんだ。」
降矢はにっこりと笑った。
ウィスキーとカルーアミルクで、再会の乾杯を交わす。
一緒にいると、昔の懐かしい記憶が次々に蘇る。
二年生の時の夏の美術部の合宿。
琴美のパン屋のバイトの帰りに迎えに来てくれたこと。
一応、ボディーガードのつもり、と言って笑っていた。
デートで観たホラー映画。
横浜赤煉瓦倉庫に二人で行ったこと。
琴美は降矢に訊いた。
「その時、私にビーズの指輪、買ってくれたの覚えてる?」
「…?」
降矢は、首を傾げ、視線を上に向けた。
「嫌だ、私には結構いい思い出だったのに!」
琴美はふざけて笑い、降矢をひじでつついた。
甘えた口調になっているのが自分でわかった。
「悪い悪い。でも、大昔の話だぜ。」
久しぶりに飲んだアルコールのせいだったのかもしれない。
「なんとなく別れちゃったよな。俺たち…」
断って煙草を吸い始めた降矢は、切なげに琴美を見る。
何時の間にか、並んで座る二人の距離が縮まっていた。
「俺はガキだった。自分のやりたいことと、琴美のこと。進路のこと。
色々あって、どうしていいかわからなかった。ずっと琴美が好きだったのに。
琴美の心が離れて行くのを、意地を張って引き止めなかった…」
琴美はふいに、降矢の体臭に追い詰められるような息苦しさを感じた。
「…私も降矢くんのこと、ずっと好きだったけど…」
もう、逃げることなどできない。
店から外へ出るエレベーターの中で、たった一度のキスだけで別れてしまった男の子は、再び唇を求めてきてた。
それを琴美は、ごく自然に受け入れた。
もう二度と戻れない道を進んでしまうとわかっていながら。
そして、一時間後、琴美は黒いワンピースを脱ぎ、彼に全てを許していた。