「うん…なんとか学校には行ってるけどね。しんどそう。
土日は朝から晩までずっと寝てるの。
どこにも行かないし…」


琴美はベッドに腰掛けて、後ろ手に下着を身につけながら答える。

三十五歳の琴美は、自分の年齢が時々、わからなくなった。


子供がおらず、ずっと個人経営の整形外科でパートタイムのリハビリ助手をやっていた。

女性ばかりの職場で楽しく仕事をしていたが、夫が体調を崩したのをきっかけに退職した。



夫の透が鬱を発症したのは、一年ほど前。
転任先の学校で、あまりにも荒れたクラスを担任したことが発端だった。


高校教師になって二十年余り。
これほど、手の付けられない生徒達は初めてだった。

だが、透はベテランだ。

気力も体力もある。
なんとかやってきた。

しかし、限界となる事件が起きた。


透はホームルーム中、理不尽にも生徒の一人に顔面を拳で殴られたのだ。
屈辱的に。


外見はタフそうな透は、実は暴力的な事が大嫌いな男だ。


校長を始め、関係者と話し合った結果、顔面が腫れているうちは、学校を休むことにした。


琴美は夫が可哀想でならなかった。

激務の末、こんなことになるなんて。
身体だけ大人の、馬鹿みたいな子供に殴られるなんて。


琴美が仕事に出ているうちに、透は、家中のあちこちに飾っていた自分の描いた絵の額を全て外し捨ててしまった。


二人が再会した水彩の上高地の風景画も。
趣味で絵を描き溜めていた数冊のスケッチブックも。


琴美が仕事から早目に戻ると、透が家の庭先で、それらをゴミ用のビニール袋に詰めていた。


透は、周囲には、殴った生徒を赦す、と明るく言っていたが、心の傷はジグジグと癒えることなく、膿を噴き出し続けていた。


暴力沙汰を起こした生徒は、即刻退学になった。


これまで素行不良の生徒に対して甘い顔をし続けていた学校が、急に厳しくなり、何人かの不真面目な生徒を退学にした。


そのことで、表面上学校は刷新され、頬の腫れの引いた透も元に戻ったかのように見えた。


しかし、全く違った。