ーあっ…美術の川嶋先生!


琴美が三年に進級した春に、川嶋は他所の高校に異動になっていたから、実に六年振りの再会だった。


ー綺麗になったから、誰かと思ったよ。

河童橋のせせらぎのそばで、川嶋はいきなり口を滑らせ、自分でそれにすぐに気付いた。

ーあ、ゴメン。香坂は昔から可愛かったよ。

照れ臭そうに言い足した。

琴美はクスッと笑う。


全然気にしてなかった。
川嶋透は大人になった自分を優しい目で見てくれている、と嬉しくなった。


高二の美術の合宿を思い出して、懐かしくなる。



川嶋は昨日から、泊まりで上高地を訪れていて、美しい草花を見つけては、小さなノートにラフなスケッチを描いていた。
家で色を付けるんだ、と言った。


スケッチブックを見せてもらった。


鉛筆描きで可憐な小花たちが白い紙に写し出されていた。


ーこれは、エゾムラサキ。
名前通り、紫の花。
これは、ミヤマキンバイ。
これは黄色の花だよ…


川嶋は教師らしい口調で、琴美に花の名と色を教えてくれた。


武骨な感じの川嶋がこんなに優しい絵を描くなんて、意外だった。

川嶋の繊細な内面に触れ、琴美の心は揺れ動く。


高校生の時、琴美の中で川嶋はあまりにも歳が上で、恋愛の対象になど絶対に
ならなかった。

しかし、上高地で再会した川嶋は違った。


ー大正池は、まわった?
昼メシは済んだ?


矢継ぎ早に川嶋は、琴美に質問を重ねてきた。


ーどっちもまだ。

琴美は笑顔で答える。


話す相手もなく、すっかり人恋しくなっていた琴美は、高校生の時みたいに図々しく甘えたくなった。

冗談めかして、川嶋の腕に触れながら言ってみた。


ーねえ、先生、お腹空いちゃった。
お昼ご飯、ご馳走してよ~?

ーおう、いいよ!

川嶋は機嫌よく応えてくれた。


ーその代わり、大正池、付き合えよな。


初めての一人旅にチャレンジするはずだったのに。


途中から、一人旅ではなくなってしまった。



蕎麦屋で昼食を採った二人は、肩を並べて、上高地の自然の中を歩き出す。