やまない雨。散る桜。

部屋に戻るとわたしの肩にどっと疲れが落ちてきて、わたしは玄関で靴を脱ぐなりそのまま電気もつけず廊下に座り込んでしまった。

2年という歳月はわたしにとってあっという間に過ぎて行った。

出会った時はわたしも恋をしていたと思う。

でも、そのときわたしは33歳。

それなりに将来のことを考えなければいけない年齢だし、そんなわたしを選んでくれた秀明に期待もしていた。

それでもそんな素振りはなるべく見せないように努力したし、秀明に将来について言及することもなかった。

それがいけなかったのか、結局わたしと秀明は本当の心を分かり合えないまま終わってしまった。

いやわたしが一方的に心を閉ざしていたのだが。

その間もわたしは刻々と歳を重ねて、この先の未来に広がる暗雲を見て見ぬ振りをする。

わたしは冷蔵庫から取り出した缶ビールのプルトップを開けた。

こんな夜、わたしの中にはある歌が甦ってくる。



“花の色は うつりにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせしまに”



春の長雨で桜の花もすっかり色褪せてしまったように、恋や仕事で悩んでいるうちにわたしもすっかり年老いてしまったなぁ。

わたしが初めて好きになった歌だ。

絶世の美女と言われた小野小町が詠んだとされる歌。

幼い頃はよく意味も分からず、歌の綺麗な響きや歌っている人が自分と同じ苗字だからという理由で好きになった。

大きくなって歌の意味を知って、1000年前も現代も人は変わらず恋に悩んで仕事に悩んで老いることを憂いていたのだと分かったとき、わたしは古典の世界に魅せられてしまった。

それがそもそもの間違いだったのかなぁ。

今わたしはこの歳になって、後悔ばかりしている。

目の前に転がっている選択肢を、

悩んで、

選んで、

捨てて、

また悩んで、

選んで……。

そうやって積み重ねていった人生を振り返ると、あの時こうしていれば、あっちを選んでいれば、そうしたらもっと違う未来になっていたのかもしれないと、もっと幸せになれたのではないかと。

満開に花を咲き誇っていた時期はとうに過ぎ、あとは枯れて散りゆくのを待つばかり……。

あと何回、わたしは恋をできるのかな。

わたしの人生で唯一輝いていたあの燃えるような恋は、もう二度と見ることのできない夢なのだろうな。

きっとあの時からわたしは本気で人を好きになることをやめてしまったのだ。

怖かったのだ。

失うことが。

大切なものが、目の前から消えてしまうことが。

わたしの脳裏に浮かんだあの人の笑顔は、散りゆく花弁にまぎれ落ちて闇の中へと消えてしまった。

絶世の美女と謳われていたのに生涯独身だったと言われる小野小町。

多くの男性が彼女に熱い求婚を申し出た筈だが、ついぞ誰とも結ばれることなく、自分の血を分かつ子どもを残すことのなかった彼女。

そんな彼女が遺した歌は、一体どんな気持ちで詠まれたのだろうか。

この歌に見え隠れする彼女の後悔の念は、あるいは今のわたしが抱えているものと同じであったのではないか。

などと1000年以上前の人物と自分を重ねて感傷に浸るのは、きっとわたしが酔っているせいなのだろうな。

遥か過去から現代にも名を残す眉目秀麗の彼女と自分を重ねるなど、笑えるのを通り越して泣けてくる。

流れる涙はとうに枯れ果てているのだけれど。

部屋の時計に目をやると、もう1時を回っている。

明日も早い。

わたしは手の中の缶ビールを一口だけすすってテーブルに置くと、そのままの格好で化粧も落とさずにベッドにもぐりこんだ。

やがて瞼が重くなりわたしはまどろみの中に落ちていく。