始まりはいつも、雨。





『Luc』





予報通りに、重たい色をした空から雨が降り出したのは昼過ぎの事。
慌しく通りを行く人々を見つめつつ、フェリクスは目を細めた。


雨の匂いが濃く、重く。


あの日も、こんな灰色の空をしていたものだと、ふと思いを馳せる。



そんな重苦しい空に、泣きそうな顔をして現れたのがレアだった。




お互いの名も知らぬまま、行き場を亡くしたフェリクスを引き入れてくれたのは彼女だった。
彼は、レアの心が寂しさを埋める為にそうしたのだとしても。
この世界から消えてなくなりたいと望んだあの日に出会えた事に、感謝していた。



「フェリクス、ただいま」


季節は一巡して、また夏がやってきていた。
レアは真っ白なワンピースの裾を翻しながら、笑顔でリビングにやってきた。

「おかえり、レア。今日は早かったね」

「雨、降ってきたから。店長が、早めに帰りなさいって」

「店長も心配なんだよ、レアのこと。常連さんにも人気なんでしょ」

フェリクスがにやりと笑いながら言った。
レアは少しだけむくれた様に頬を膨らませると、手にしていた鍋を頭上に掲げた。

「そんな意地悪な顔する子には、店長特製のミネストローネはあげません」

「えー」

フェリクスは心外そうな顔で言うと、ごめんね、と言ってまた笑った。



変わりのない日常。
あの日から、二人は幸せで穏やかな日々を過ごしていた。


「そういえば、レア…俺の名前呼んでくれないよね」

ミネストローネを粗方食べきってしまったフェリクスが、レアの顔を覗き込んだ。
じっと見つめられたレアは、少し顔を赤らめるとスプーンを弄びながら俯いた。

「う、ん…そうだね。なんか…フェリクスって呼びなれちゃって」

「ふーん…まぁ、俺はどっちでもいいけど。俺にとっては、“フェリクス”はレアがくれた名前だし」

「やっぱり、猫の名前なんて変だよね…あの時は、あなたが捨て猫だなんて言うから…思わずこの名前つけちゃったけど…」

「俺は、気に入ってるんだけどなぁ」

フェリクスの言葉にレアは嬉しそうに微笑むと、立ち上がって食器を片付け出した。
フェリクスも隣に立ちながら、レアの手伝いをしつつ時計を見た。