魅惑のくちびる


この辺りはとても静かな夜だ。

桜並木を時々立ち止まりながら見上げて、また歩く。

……思わぬ夜桜見学。

いつもなら嬉しい桜も、見るはずではない時に見るのは、そんなにいいものではないことに気付いた。


桜はもうだいぶ散ってしまったけれど、それでもまだ、緑の葉っぱの影にわずかながら花は残っている。

――なんだか、わたしの気持ちみたいだ。

それはきっと少しの風でもはかなく散ってしまう。

わたしの雅城への気持ちも、散ってしまうの……?


わたしの行く先なんてない。

それでも家を出てきてしまった以上、どこかへ行く必要がある。

――もしかしたら、あの家にはもう戻れないかもしれない……。


ビジネスホテルへ行くのが最善な方法だって知っていた。

いい大人なんだから、金銭的にも問題無いし、理性的にもそうするべきだとわかっている。


でも……わたしの心は、癒しを求めていた。

心ごと、わたしを包んで欲しいと拠り所を求め――気付けば、指先で小さな四角い道具の中から、その場所を探し出していた。