貴方がもし、ここにいたら
貴方が私を抱きしめたなら
どれだけ安心して眠れるだろう
明日も明後日も
側にいると確信できたら

けれど今はいいの
我慢できるの
ただ生きててくれたらそれでいいの

2011年。28歳。
正社員で働き始めて三年。
赤ちゃんだった子供も気付けばもう子供5歳になろうとしていた。
目まぐるしく進む毎日。
私は私として生きているのか。
私は瞬間的にそう思うことが増えていた。

ここ最近毎日出勤途中でタンポポを探すのが日課になっていた。
自然と目がいく訳じゃない、半ば無理やり見つけるようにしている。
何故なら季節を感じるゆとりを持っている、と自分を安心させたいからだった。
今は春。少し意識すれば、桜やタンポポやチューリップや菜の花、季節の花を至る所で見つけ事くらいできる。
そして綺麗だと必ず言う。思う。
綺麗な花を見て綺麗だと思う心のゆとり、今生きている風や音や温度を感じるゆとりをもてている自分に安心するのだった。

丁度一年前、冒険はまた始まった。
いつどうなるか分からない恐怖がまた見つかりもしないであろう答え探しに没頭させた。
何故見つかりもしないと思うのか。
答えはすでに見つかっている気もするのだ。
ただそれを認めてしまうのが怖かった。
もし当たっていれば私の探しているものは二度と手にはいることは無いからだ。